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莫煩悩~緊急事態の今、為すべきことは何か!~

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「莫煩悩」(まくぼんのう・煩悩するなかれ) 八代執権北条時宗に宋から招かれて 建長寺 ・ 円覚寺 に住持した無学祖元が、蒙古襲来という国難に立ち向かう時宗に贈った語。 一切の迷いの心・何かを満たそうと望む心を捨て、為すべき事に集中せよ! 新型コロナウイルスの感染拡大が続いている緊急事態に為すべき事は 「外出自粛」 。 コロナは、人が動かなければ感染が拡がることはないと言われています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 東京都知事は今日からの12日間をステイホーム週間として、企業や都民に自宅にとどまるように協力を要請しています。 大阪府知事・神奈川県知事・鎌倉市長も感染拡大を防ぐために全力で頑張ってくれています。。 大型連休は、感染拡大をどれだけ防げるかの重要な期間。 国難を乗り切るために、 己を励ませ! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 給付金詐欺に注意! 給付金支給について、役所からの問い合わせは絶対にありません。 役所からは申請書が送られてくるのみ。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 緊急事態だから・・・ 自宅で鎌倉!

納豆は源氏ゆかりの食べ物という説がある!

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1083年(永保3年)、後三年合戦に出陣した源義家。 兵糧として、煮豆を俵に入れておいたそうです。 そうしたら・・・ ワラの菌が煮豆に付着して糸を引くようになってしまった・・・ 偶然にできた納豆。 他に食べるものもないので、試しに食べてみると美味しかったのだとか・・ 発酵してしまった煮豆は、兵糧ではなく馬糧(軍馬の飼料)だったという説も。 岩手県横手市の金沢公園には、「納豆発祥の地碑」が建てられているらしい。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 石清水八幡宮 (京都) 義家は 石清水八幡宮 で元服したので「八幡太郎」と呼ばれました。 甘縄神明神社 (鎌倉) 父の頼義は 甘縄神明神社 で祈願して義家を授かったのだといいます。 源義家像 (府中市・大国魂神社参道) 大国魂神社 の参道のケヤキは、頼義・義家父子が「前九年の役」を平定したときに寄進した「けやきの苗木」が始まりなのだとか。 源義家の墓 (羽曳野市・通法寺跡) 羽曳野市は、源頼信、源頼義、源義家の三代が本拠とした地であることから「河内源氏発祥の地」と呼ばれています。 通法寺 は、二代頼義が河内源氏の菩提寺として建立しました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

特別定額給付金(10万円)の申請書~新型コロナウイルス感染症緊急経済対策~

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緊急事態宣言!鎌倉に来ないで!湘南の海に来ないで! 特別定額給付金(10万円)の支給対象者は、令和2年4月27日の時点で住民基本台帳に記録されている者です。 給付金の給付方法は、次の①・②が基本(4月22日現在)。 ①郵送申請による給付 市町村から各受給権者(世帯主)あてに申請書が郵送されます。 申請書に振込先口座を記入し、振込先口座の確認書類と本人確認書類を貼付して市町村に返送。 ②オンライン申請方式 マイナンバーカード所持者が利用できます。 マイナポータル から振込先を入力し、振込先口座の確認書類をアップロードして申請します。 申請の受付開始日や支給開始日は、各市町村が決定することになっています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~郵送申請の場合の申請書~ 2020年4月22日付けで総務省から各地方自治体に送られたメールに添付されている特別定額給付金申請書(案)です。 送付されてくる申請書には、世帯全員の氏名等が印字されているようです。 1人10万円ですので、3人世帯なら30万円、4人なら40万円が支給されますが、受給権者は世帯主となります。 郵送されてくる申請書書類の中には、返信用の封筒も入っているようです。 料金受取人払郵便ですので、郵送代は必要ありません。 給付金詐欺に注意! 給付金支給について、役所からの問い合わせは絶対にありません。 役所から申請書が送られてくるのみ。 関係機関らしきところからの問い合わせも絶対にありません。 給付金をもらうには、申請書を返送するのみ。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 特別定額給付金の概要(総務省HP) ↓ https://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/gyoumukanri_sonota/covid-19/kyufukin.html 生活保護者にも給付(厚生労働省の方針) ↓ https://www.mhlw.go.jp/content/000623584.pdf ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 緊急事態だから・・・ 自宅で源頼朝・自宅で歴史めぐり

鶴岡若宮と呼ばれた鶴岡八幡宮

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緊急事態!鎌倉に来ないで!湘南の海に来ないで! 創建当時の 鶴岡八幡宮 は「鶴岡若宮」と呼ばれました。 「若宮」とは・・・ 神霊を他所に分霊して祀った社という意味。 『吾妻鏡』によると、 鶴岡八幡宮 は、1063年(康平6年)に 源頼義 が由比郷に 石清水八幡宮 を勧請して創建したことに始まります。 石清水八幡宮の神霊をお迎えしているから若宮。 1180年(治承4年)に 源頼朝 が小林郷に遷座すると、由比郷の八幡宮は 「下若宮」 (しものわかみや)と呼ばれるようになります。 下若宮 (由比若宮) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 若宮大路 鶴岡八幡宮 から 由比ヶ浜 まで一直線に続く参道は 若宮大路 と呼ばれますが、鶴岡若宮への参道という意味で名付けられたのかと思われます。 静の舞 よく 静御前 が舞ったのは若宮の回廊と言われますが、この若宮とは、現在の下宮(若宮)のことではなく鶴岡若宮のこと。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 下宮 鶴岡八幡宮 は、1191年(建久2年)の焼失後の再建で 上宮 と 下宮 が建てられました。 下宮は若宮とも呼ばれますが、この場合の若宮は、本宮の祭神の子を祀った社という意味。 若宮には、仁徳天皇(にんとくてんのう)・履中天皇(りちゅうてんのう)・仲媛命(なかのひめのみこと)・磐之媛命が祀られています。 仁徳天皇は、本宮(上宮)の祭神応神天皇の子。 履中天皇は仁徳天皇の子。 仲媛命は応神天皇の皇后。 磐之媛命は仁徳天皇の皇后。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鮭が好物だったという源頼朝

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画像は 「いらすとや」 より。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1190年(建久元年)10月3日、 源頼朝 は 上洛 のため一千余騎の精兵をひきつれて鎌倉を発ちます。 その途上の遠江国菊川宿でのこと。 10月13日、佐々木盛綱が四角いお盆に鮭の楚割(すわやり)に小刀を添えたものを子息に命じて頼朝の宿に届けさせました。 ※楚割は、細長く切って干した保存食で削って食べるらしい。 盛綱は頼朝に、 「たった今、これを削って食したところ、美味なものです。早く召し上がってみてください」 その味を気に入った頼朝は、和歌を楚割のお盆に自筆で書いたのだといいます。 「待ちいたる人の情けもすはやりの割りなくみゆる志かな」 盛綱は、1194年(建久5年)2月14日にも越後国加治庄の土産として生鮭二匹を頼朝に届けています。 鮭がお気に入りの頼朝は、一匹を御所で働く者にも分けてあげたのだとか。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 佐々木盛綱 は、頼朝が伊豆の流人だった頃から仕えていた 佐々木四兄弟 の三男。 1180年(治承4年)、頼朝が源氏再興の 挙兵 をした時、最初の標的となった伊豆国目代の 山木兼隆 を討ち取ったのは、盛綱と 加藤景廉 でした。 小動神社 (鎌倉市) 小動神社 は、 佐々木盛綱 が近江の八王子社を勧請したことに始まるのだといいます。 佐々木氏は近江源氏。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鳩と源氏と鶴岡八幡宮

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『吾妻鏡』によると、大事が起こる時には、吉兆にせよ、凶兆にせよ、鳩が現れるようです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~壇ノ浦の戦い~ 1185年(元暦2年)4月21日、平家を 壇ノ浦 に滅ぼした後、鎮西で戦後処理に当たっていた 梶原景時 から鎌倉の 源頼朝 に手紙が届きます。 その中に・・・ 壇ノ浦の戦い で平家一門の人たちが入水した時、源氏の屋形船の上には二羽の白鳩が現れたという報告がありました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~奥州征伐に使った源氏の白旗~ 1189年(文治5年)7月8日、 千葉常胤 が頼朝に源氏の白旗を献上します。 先祖・源頼義の旗の寸法と同じで、上方に伊勢大神宮と八幡大菩薩、下方に相対する二羽の鳩の刺繍があったそうです。 その旗は 鶴岡八幡宮 で七日間の加持祈祷を受けたのだといいます。 源氏の白旗 ( 壺井八幡宮 ) 河内源氏の氏神・ 壺井八幡宮 の宝物「源氏白旗」には「八幡大菩薩」の文字が書かれています。 そして、八の字は相対する二羽の鳩。 常胤が献上した旗の鳩もこのようなものだったのでしょうか・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~二代将軍頼家の不運と鳩~ 二代将軍の 源頼家 は、1203年(建仁3年)9月2日の 比企能員の変 後に出家させられ、9月29日には 修禅寺 に幽閉されました。 翌年7月18日には暗殺されてしまうのですが・・・ 比企能員の変が起こる数カ月前から、 鶴岡八幡宮 では鳩が変死しています。 頼朝の時代は、めでたい事が起こる前ぶれのような形で鳩が登場しますが、頼朝の死後は、不吉の前ぶれのような形で鳩が登場します。 6月30日、 鶴岡八幡宮 の軒上に降りた一羽の鳩が、しばらくして落下して死んでいます。 7月4日、 鶴岡八幡宮 で三羽の鳩が食い争って一羽が死んでいます。 7月9日、 鶴岡八幡宮 の閼伽棚下に、頭のとれた鳩が死んでいました。 その後、頼家は病気となり、比企能員の変へと繋がっていきます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~三代将軍実朝の不運と鳩~ 三代将軍の 源実朝 は、1219年(建保7年)1月27日に 鶴岡八幡宮 で甥の 公暁 に暗殺されますが・・・ やはり鳩が登場します。 源頼茂が 鶴岡八

源頼朝と鶴岡八幡宮

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1180年(治承4年)10月7日、鎌倉入りを果たした頼朝は、先祖ゆかりの鶴岡八幡宮(由比若宮)を遙拝します。 由比若宮 由比若宮 は、1063年(康平6年)8月、 源頼義 が京都の 石清水八幡宮 を勧請して創建。 石清水八幡宮 石清水八幡宮 は、京都の 裏鬼門 を守護する社。 源氏はこの社を氏神としていました。 鶴岡八幡宮 10月12日、頼朝は鶴岡八幡宮を小林郷北山に遷しました。 翌1181年(養和元年)年には仮の宮を建て直すための工事に着手し、7月20日に上棟。 8月15日には新造の正殿に御神体が納められました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1182年(養和2年)3月9日、北条政子が懐妊。 若宮大路 3月15日、頼朝は、政子の安産祈願のために参道の 若宮大路 の整備を始めます。 若宮大路 若宮大路 は、 鶴岡八幡宮 と 由比ヶ浜 を一直線に結ぶ鎌倉の中心線。 平安京の朱雀大路を模して造営されたのだとか。 源平池 若宮大路の造営と併行して行われたのが放生池(現在の 源平池 )の造営。 太鼓橋 弦巻田と呼ばれた三町余りの斎田の耕作をやめて池としたもので、橋も架けられました。 段葛 参道中央の 段葛 も同時期に造営されたものと考えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1182年(寿永元年)9月23日、頼朝は、初代別当に 園城寺 の円暁を任命。 園城寺 園城寺 は、天台寺門宗の総本山。 鶴岡八幡宮の社務職次第によれば、円暁の母は 源為義 の娘。 頼朝の従兄弟。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1186年(文治2年) 3月1日、 源義経 とともに逃亡していた静御前が捕えられて鎌倉にやってきます。 静の舞 4月8日、静御前が若宮回廊で舞います。 その歌と舞は梁の塵を動かすほどの見事さだったそうです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1186年(文治2年)8月15日、頼朝は鳥居の辺りを徘徊する老人を目にします。 奥州へ向かう途中の西行でした。 頼朝は西行を御所に招き、弓馬について聞き出します。 流鏑馬 翌1187年(文治3年)8月15日、放生会