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9月 11, 2011の投稿を表示しています

湘南道路の領収書

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昔、湘南道路(国道134号線)は有料でした。 この領収書は、逗子区間の料金所のものです(昭和59年)。 湘南道路は・・・ 逗子新宿~鎌倉 由比ヶ浜 の「逗子区間」(昭和39年開通)と、 藤沢片瀬~鎌倉 由比ヶ浜 の「鎌倉区間」(昭和31年開通)の 2区間がありました。 鎌倉区間の料金所は 七里ヶ浜 にあったそうです。 現在は、七里ヶ浜海岸駐車場となっています。 七里ヶ浜の料金所 湘南道路からの景色 「鎌倉区間」は、昭和50年に無料開放され、 「逗子区間」は、昭和61年に無料開放されたそうです。 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

大姫の病気治癒祈願~源頼朝・・・日向薬師を参詣~

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1194年(建久5年)8月8日、 源頼朝 は 日向薬師 を参詣します。 大姫の病気治癒祈願だったと『吾妻鏡』は伝えています。 日向薬師 日向薬師 は、行基が開いた霊山寺をそのはじまりとする高野山真言宗の寺院です。 古くから薬師如来の霊場として信仰されてきました。 鐘堂 宝殿 虚空蔵菩薩 二本杉 衣裳場 仁王門 『吾妻鏡』によれば・・・ 1194年(建久5年)7月29日、 頼朝 の長女大姫が危篤状態に陥ります。 (八方手を尽くしたといいますが、一向によくなりませんでした。) そこで、 頼朝 は、「この国に2つとない効験のある薬師如来」という 日向薬師 の参詣を思い立ったのだといいます。 頼朝 は、8月8日の早暁、 日向薬師 に向けて出発しています。 そして、仏に祈った後、夜になって帰ったそうです。 駒つなぎの松 日向薬師 の参詣道には、 頼朝 の馬をつないだ松があったといいます。 (現在の松は三代目ということです。) 白髭神社 (参考: 豊かな田園風景のある日向薬師周辺の散策 ) 岩船地蔵堂 鎌倉扇ヶ谷にあるこの地蔵堂には、 大姫の守り本尊が納められているといいます。 これより10年ほど前の1184年(元暦元年)4月、大姫は、父 頼朝 によって懐いていた木曽義高を殺されました。 それ以来、病気となり生涯良くなることはありませんでした。 そして、1197年(建久8年)7月14日に亡くなっています。 日向薬師 https://www.yoritomo-japan.com/isehara/hinata/hinata-yakusi.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

暗殺された上総介広常

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1180年(治承4年)8月、 石橋山の戦い に敗れた 源頼朝 は、真鶴より安房に渡り、東国の最大勢力であった 上総介広常 の参陣を得ます。 上総氏は、千葉氏、三浦氏、鎌倉氏などと同じく、平良文を祖とする板東八平氏の一つといわれています(参考: 村岡御霊神社 (藤沢宮前)、 御霊神社 (鎌倉坂ノ下))。 広常 の参陣によって「頼朝の挙兵が成功した」ともいわれています。 (参考: 源頼朝大軍を率いて鎌倉入り ) のちに 頼朝 は 後白河法皇 に、 「上総介広常は東国に勢いのある武将で、 私が東国を従えることができたのも、広常が参陣したおかげです。」 と語っているといいます。 朝夷奈切通 広常 の屋敷は、 朝夷奈切通 付近にあったといいます。 1180年(治承4年)12月12日、 頼朝 は、広常邸から大倉の新亭に移っています。 (参考: 源頼朝の新亭造営・・・大倉幕府 ) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ そんな 広常 でしたが、傲慢な態度も目立っていたようです。 1181年(治承5年)6月19日、 頼朝 は、納涼散歩のため三浦に出かけます。 三浦一族 が準備をした催しでした。 ~広常、下馬の礼をとらず・・・~ このとき、 広常 も佐賀岡浜で 頼朝 を出迎えています。 50人余りの部下は、皆下馬し砂浜に平伏しますが、 広常 は、轡を緩めて敬礼したのみで馬から下りませんでした。 三浦義連は、 広常 の前に出て、下馬の礼をとるよう促しますが、 広常 は、 「公私共三代の間、未だその礼を成さず」 と言ったといいます。 ~頼朝の水干を巡って岡崎義実と喧嘩~ その後、衣笠合戦で命を落とした 三浦義明 の旧跡に場所が移ります。 三浦義澄 によって酒宴の席が用意されていました。 酒宴が進んでいくと、 岡崎義実 が 頼朝 の水干を所望しました。 水干はすぐに 義実 に下賜されます。 しかし、 広常 はこれを妬み 「このような美しい服は、広常のような者が拝領すべきであって、義実のような老いぼれに下賜されるのは予想外である・・・」 と息巻いたため、双方が言い合いとなり、あわや殴り合いの喧嘩となるところだったといいます。 これを鎮めたのは、三浦義連だったそうです。

仏教の色・・・五色の幕と散華  

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建長寺 山門に掛けられた五色幕 五色幕は、仏教の寺院であることを表すとともに、釈迦の教えを伝えていくという意味があるだそうです。 仏教の五色とは・・・ 青(緑) ・・・ 釈迦の髪の毛の色。 心身ともに動揺することがなくなった安定した状態「禅定」(ぜんじょう)を表します。 黄 ・・・ 釈迦の体の色。 豊かな姿で確固とした揺るぎない性質「金剛」を表します。 赤 ・・・ 釈迦の血の色。 大いなる慈悲の心で人々を救済することが止まることのない「精進」を表します。 白 ・・・ 釈迦の歯の色。 清らかな心で諸々の悪業や煩悩の苦しみを清める「清浄」(しょうじょう)を表します。 樺(紫) ・・・ 釈迦の袈裟の色。 あらゆる侮辱や迫害、誘惑などによく耐えて怒らぬ「忍辱」(にんにく)を表します。 安養院 明王院 光明寺 妙本寺 で撒かれた五色の散華 よくお寺の法要の際に「蓮の花びら」を模した色紙が撒かれます。 これを「散華」(さんげ)というそうです。 いろんな散華があるようです。→→→ 散華美術館

二天門修理完成奉告式~妙本寺~

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昨年5月より修理が施されていた 妙本寺 の 二天門 が完成し、奉告式が行われました。 二天門 1840年(天保11年)の創建。 龍の彫刻 極彩色の彫刻が蘇りました。 手を拍つと鳴き声をあげるという伝説もあります。 仏教の守護神四天王のうち、持国天と毘沙門天が安置されています。 練行列が二天門をくぐり、 祖師堂 へ進んでいきます。 妙本寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html