投稿

8月 27, 2023の投稿を表示しています

徳川家康陣地跡~小田原征伐~

イメージ
1590年(天正18年)2月10日、 小田原征伐 のため出陣した 徳川家康 は、4月4日、 小田原城 東方の今井村の土豪・柳川和泉守泰久の屋敷に入ります。 今井に陣を構えた家康は、7月5日に 北条氏直 が降伏するまでここに留まりました。

源氏物語が文献上で初めて登場した日~若紫はおいでかな?~

イメージ
『紫式部日記』によると・・・ 1008年(寛弘5年)9月11日正午、 一条天皇 の中宮・ 藤原彰子 が 土御門殿 で第二皇子の 敦成親王 を出産。 皇子誕生五十日の祝宴が行われた11月1日・・・ 藤原公任 は 紫式部 に、 「あなかしこ このわたりに 若紫やさぶらふ」 (恐れ入りますが、このあたりに若紫の姫君はおいでかな・・・) と語りかけますが・・・ ※若紫とは 光源氏 の最愛の妻・ 紫の上 のこと。 紫式部 は、 「 光源氏 らしき人がいないので、 紫の上 がいるわけがない」 と無視したのだとか。 この日が文献上で 『源氏物語』 が初めて登場した日。 そのため11月1日は「古典の日」に制定されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

徳川家康と築山殿と井伊直政

イメージ
徳川家康 の正室・ 築山殿 の母は、今川義元の妹(養妹とも)とされていますが、遠江国の国人・井伊直平の娘という説もあります。 だとすると・・・ 築山殿 の母は 井伊直政 の大叔母(祖父の兄妹)。 築山殿は直政の伯従母(父の従兄妹)。 徳川家康 は伯従母の夫ということになります。 鳳来寺 三河国の 鳳来寺 は薬師如来の霊場。 徳川家康 は、父・松平広忠と母・ 於大の方 が鳳来寺の峯薬師に祈願して授けられたのだといいます。 そして、 井伊直政 は、幼少期に鳳来寺に預けられていたのだといいます。 直政が家康に仕えて井伊家を再興できたのは、 築山殿 との血のつながりと鳳来寺という共通点があったからなのかもしれない・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

流鏑馬の的~鶴岡八幡宮:小笠原流流鏑馬~

イメージ
鶴岡八幡宮 の 流鏑馬馬場 は140間(254.54m)。 的は三つ。 一尺八寸角(0.55cm)の杉板を、的の中心までの高さが六尺(1.82m)となるように青竹に挟みます。 馬場元から一の的までは20間(36.36m)、一の的から二の的までは40間(72.72m)、二の的から三の的までは43間(78.18m)。 的中するとパーンという音が響きます。 鶴岡八幡宮例大祭 の流鏑馬は9月16日。 小笠原流流鏑馬 が奉仕されます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2023小出川彼岸花まつり~藤沢・茅ヶ崎・寒川~

イメージ
藤沢市、寒川町、茅ヶ崎市を流れる小出川沿いには、約3㎞にわたって彼岸花が咲きます。 2023年の彼岸花まつりは9月23日(土)。 小出川沿いには多くの寺社が多くあるので、歴史好きの人も楽しめます。 寒川神社 寒川神社 は、「関八州鎮護の神」として古くから崇められ、 源頼朝 、 北条義時 、 武田信玄 などの武将の篤い信仰を受けた。 梶原景時館址 (寒川町) 梶原景時 は、1180年(治承4年)の 石橋山の戦い で 源頼朝 の命を救ったと伝えられる武将。 頼朝の鎌倉体制を固めるため、中心人物として活躍しました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉のヒガンバナ 60年に一度の祭礼

三献の茶~豊臣秀吉と石田三成~

イメージ
石田三成 は、近江国坂田郡石田村の出身。 豊臣秀吉が、まだ 長浜城 にいた頃のこと。 観音寺で修行をしていた三成は、鷹狩の際に立ち寄った秀吉に・・・ 「最初は、ぬるいお茶を大きい茶碗いっぱいに、 次は、少し熱くしたお茶を半分ほど、 最後は、熱くした少しのお茶を小さな茶碗で」 差し出した。 三成の心配りに感心した秀吉は、三成を召抱えることとしたのだとか。 長浜城 長浜城 は、1573年(天正元年)、浅井長政を攻略した羽柴秀吉が、織田信長から長政の旧領の近江国長浜を拝領して築いた城。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆