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4月 24, 2011の投稿を表示しています

段葛のツツジ~鶴岡八幡宮~

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鶴岡八幡宮 の参道 「段葛」 は桜が終わると ツツジ の季節です。 鎌倉のツツジ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/kamakura-tutuji.htm 段葛 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/dankazura.htm 鶴岡八幡宮 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page041hatiman.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

太田道灌とヤマブキの伝説~鎌倉:英勝寺~

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戦国武将の太田道灌は、 扇谷上杉家 の家宰を務めていました。 英勝寺 のある地は道灌の屋敷跡といわれています。 七重八重花は咲けども山吹のみ(実)のひとつだになきぞかなしき 後醍醐天皇の第十六皇子兼明親王が詠んだ歌です。 雨が降った日に来客があって、帰りがけに「蓑を借りたい」といわれたので、山吹の枝を持たせると、客は訳が分からず帰っていきました。 後日、山吹の意味を問われたのでこの歌を送ったということです。 歌の意味は、「山吹の花は八重七重に咲くのに実が結ばない」ということですが、裏を返すと「お貸しする蓑一つなくて申し訳ない」ということなのだそうです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ある時、太田道灌は鷹狩りに出掛けました。 雨に降られたので、農家に立ち寄って蓑を借りようとしたところ、少女に山吹の花を差し出されたそうです。 怒った道灌はそのまま雨の中を帰ったのだといいます。 その夜、道灌は家臣にそのことを話しました。 すると、家臣は、兼明親王の古歌に山吹を詠んだものがあることを話したといいます。 その時はじめて、少女の差し出した山吹が「貧しくてお貸しする蓑もない」という意味であったことを知りました。 教養のなさを恥じた道灌は、その後学問に励んだのだそうです。 この故事に因んで 英勝寺 の仏殿の横には、山吹が植えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 太田道灌首塚 (英勝寺) 英勝寺 https://www.yoritomo-japan.com/page137eishoji.htm

別願寺のフジ

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大町の 別願寺 のフジです。 立木仕立ての立派なフジです。 鎌倉のフジ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/kamakura-fuji.htm 別願寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page126betuganji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

伝説の衣張山2011/04/30

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源頼朝 は、夏のある日、 衣張山 に白絹を覆わせて雪山にみたて、 大倉の屋敷 から眺めて涼を楽しんだといいます。 衣張山 標高121メートルの山です。 この道は「平成巡礼道」と名付けられています。 杉本寺 前の犬懸橋を渡り、犬懸ヶ谷の奥へ進んでいくと、 やがてスギ林の中へと入って行きます。 石切場の跡 ここが頂上です。 頂上からは 由比ヶ浜 から 稲村ヶ崎 、 江の島 が見渡せます。 頂上からの尾根沿いの道は、緑のきれいなハイキングコースで、 名越切通 まで行くこともできます。 衣張山 から尾根沿いを少し歩くと見晴らしの良い場所に出ます。 こちらからは逗子の海が見渡せます。 今日はここから大町に下りました。 大町方面に下りると、最近まで、 北条時政 の 「名越亭跡」 といわれていた「大町釈迦堂口遺跡」が近くにあります。 ここが大町から 衣張山 への上り口です。 衣張山登山 https://www.yoritomo-japan.com/kodou-4.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

浄光明寺2011/04/30

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浄光明寺 浄光明寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page137jyokomyoji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

英勝寺2011/04/30

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英勝寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page137eishoji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html