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9月 8, 2024の投稿を表示しています

2024日向の彼岸花~臨時観光案内所とMAP~

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源頼朝 が 大姫 の病気回復を願って参詣した 日向薬師 の麓の里山彼岸花の群生地。 9月21日(土)・22日(日)・23日(月祝)には臨時観光案内所が設置されます。 日向のヒガンバナは小田急伊勢原駅からバスで。 伊勢原駅北口3番乗場「日向薬師行」終点下車。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 日向薬師 日向薬師 は薬師如来の霊場。 北条政子 も 源実朝 の正室・ 坊門姫 と参詣しています。 10月6日の 道灌まつり では、「北条政子日向薬師参詣行列」を見ることができます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉のヒガンバナ

2024鶴岡八幡宮例大祭日程

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鶴岡八幡宮例大祭 は、1187年(文治3年)8月15日に 源頼朝 が放生会を催し、 流鏑馬 を奉納したのがそのはじまりとされています。 9月15日の 神幸祭 では、 本宮 の三基の神輿が 二の鳥居 まで渡御します。 9月16日には、 小笠原長清 を祖とする小笠原家に伝えられた 小笠原流流鏑馬 が奉仕されます。 流鏑馬の後には、 源頼朝 の挙兵を支えた 土肥実平 の 焼亡の舞 も。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2024面掛行列~御霊神社例大祭日程~

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御霊神社 は、平安時代の開発領主・ 鎌倉権五郎景政 を祀る社。 例大祭は景政の命日である9月18日に行われます。 神幸祭 の 面掛行列 は、神奈川県の無形民俗文化財です。 面掛行列 9月18日 正午 例大祭 9月18日 13:00 鎌倉神楽 9月18日 14:30 神幸祭 (神輿・ 面掛行列 出発) ※雨天中止 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉検定過去問~鶴岡八幡宮例大祭~

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鶴岡八幡宮例大祭は、旧暦の 8月15日に行われていた〔   〕を新暦に換算して開催されている。初日の早朝、由比ヶ浜で神職全員が海に入り禊ぎをする 〔   〕 が行われ、2日目には本宮で例大祭が執行された後、若宮大路で 〔   〕 と 〔   〕 が行われる。最終日には 〔   〕 流宗家により流鏑馬神事が奉仕される。 鶴岡八幡宮例大祭 は9月14日~16日。 1187年(文治3年)に 源頼朝 が催した放生会をその起源としていると伝えられています。 浜降式 初日の14日早朝、 由比ヶ浜 では 浜降式 (禊ぎの儀式)が執り行われ、祭人たちが海に入って身を清めます。 海に入って採られた海藻は、 鶴岡八幡宮 に持ち帰られ、社頭に掲げられます。 そして、夕刻から宵宮祭(前夜祭)が行わます。 神幸祭 15日は、午前10時から例大祭。 祭事を終えると舞殿で 八乙女の舞 が奉仕されます。 午後1時からは 神幸祭 。 応神天皇、比売神、神功皇后の神輿が 若宮大路 の御旅所( 二の鳥居 )まで渡御します。 八乙女の舞 御旅所でも 八乙女の舞 が奉仕されます。 小笠原流流鏑馬 最終日の16日には 小笠原流流鏑馬 が奉納されます(午後1時から)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~土肥実平の焼亡の舞~ 例大祭では、 「焼亡の舞」 も奉仕されています。 1180年(治承4年)8月、 石橋山の戦い に大敗し、しばらく山中をさまよっていた 源頼朝 一行は、 土肥実平 の手引きで 真鶴 から 安房国 へ船出することとします。 その途中の山上から見えたのは土肥館が焼け落ちる光景でした。 実平 は 頼朝 の前で「我が家は何度も焼けば焼け」と謡い舞ったといいます。 それが今に伝えられている 「焼亡の舞」 。 ※上の写真は湯河原町の 土肥祭 で演じられた「焼亡の舞」。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆