鶴岡八幡宮例大祭は、旧暦の 8月15日に行われていた〔 〕を新暦に換算して開催されている。初日の早朝、由比ヶ浜で神職全員が海に入り禊ぎをする 〔 〕 が行われ、2日目には本宮で例大祭が執行された後、若宮大路で 〔 〕 と 〔 〕 が行われる。最終日には 〔 〕 流宗家により流鏑馬神事が奉仕される。 鶴岡八幡宮例大祭 は9月14日~16日。 1187年(文治3年)に 源頼朝 が催した放生会をその起源としていると伝えられています。 浜降式 初日の14日早朝、 由比ヶ浜 では 浜降式 (禊ぎの儀式)が執り行われ、祭人たちが海に入って身を清めます。 海に入って採られた海藻は、 鶴岡八幡宮 に持ち帰られ、社頭に掲げられます。 そして、夕刻から宵宮祭(前夜祭)が行わます。 神幸祭 15日は、午前10時から例大祭。 祭事を終えると舞殿で 八乙女の舞 が奉仕されます。 午後1時からは 神幸祭 。 応神天皇、比売神、神功皇后の神輿が 若宮大路 の御旅所( 二の鳥居 )まで渡御します。 八乙女の舞 御旅所でも 八乙女の舞 が奉仕されます。 小笠原流流鏑馬 最終日の16日には 小笠原流流鏑馬 が奉納されます(午後1時から)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~土肥実平の焼亡の舞~ 例大祭では、 「焼亡の舞」 も奉仕されています。 1180年(治承4年)8月、 石橋山の戦い に大敗し、しばらく山中をさまよっていた 源頼朝 一行は、 土肥実平 の手引きで 真鶴 から 安房国 へ船出することとします。 その途中の山上から見えたのは土肥館が焼け落ちる光景でした。 実平 は 頼朝 の前で「我が家は何度も焼けば焼け」と謡い舞ったといいます。 それが今に伝えられている 「焼亡の舞」 。 ※上の写真は湯河原町の 土肥祭 で演じられた「焼亡の舞」。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆