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徳川家康の父・松平広忠の廟所~岡崎市・松應寺~

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徳川家康 の父松平広忠は、1549年(天文18年)に死去。 廟所は松を中心とした構造。 家康は、広忠が葬られたの墓の上に松を手植えして、松平家の繁栄を祈念したのだと伝えられています。 そして・・・ 1560年(永禄3年)の 桶狭間の戦い 後、今川氏から 岡崎城 を奪還した家康は廟所に松應寺を建立。 松が緑深く伸長するのを見て「我が祈念に應ずる松なり」として名づけられたのだとか。。 松應寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

岡崎城を奪還した松平元康(徳川家康)~桶狭間の戦い~

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岡崎城 三河国の 岡崎城 は、竹千代( 徳川家康 )が生まれた城。 父の松平広忠が駿河国の今川氏に従っていたため、竹千代は6歳で今川氏の人質となり駿府で過ごすこととなります。 そして、1549年(天文18年)に広忠が死去すると、 岡崎城 は今川氏の支城となってしまいましたが・・・ 桶狭間古戦場伝説地 (豊明市) 1560年(永禄3年)、 桶狭間の戦い で織田信長が今川義元を破ると、松平元康(竹千代)は 岡崎城 を奪還して今川氏から独立。 幼い頃に生き別れとなっていた母の 於大の方 を迎え入れました。 岡崎城 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

厭離穢土欣求浄土~再起を決意した家康:桶狭間の戦い~

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厭離穢土欣求浄土 (家康の馬印) 少年期から今川氏の人質として駿河国で過ごしていた 徳川家康 (当時は松平元康)。 1560年(永禄3年)、今川義元が 桶狭間の戦い で織田信長に敗れると、三河国の 大樹寺 に逃れて自害を決意したのだといいます。 しかし、住持の登誉天室に諭されて生き抜く決意をし、誕生地の 岡崎城 に辿り着いたのだと伝えられています。 その時、天室が説いた教えが「厭離穢土欣求浄土」。 桶狭間古戦場公園 大樹寺 岡崎城 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆