源頼朝の挙兵を支えた武将の多くは桓武平氏
源頼朝 の挙兵を支えた武将の多くは桓武平氏でした。 北条氏の出自は定かではありませんが、 北条時政 ・ 北条宗時 ・ 北条義時 は平直方を祖とする桓武平氏とされています。 中村一族の 土肥実平 ・土屋宗遠・中村景平、 三浦一族の 三浦義澄 ・ 三浦義村 ・ 岡崎義実 ・ 和田義盛 、 頼朝に鎌倉入りを進言した 千葉常胤 、 二万騎を率いて参じたという 上総広常 、 秩父一族の 畠山重忠 ・ 江戸重長 ・ 河越重頼 は、 平良文を祖とする桓武平氏。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 平清盛 が京都で武家政権を築いたことや、 源頼朝 が鎌倉に幕府を開いたことから、関西は平氏・関東は源氏と思われがちですが、 清盛は、桓武平氏の祖で上総介として関東に赴いた平高望の子孫。 頼朝は、河内国を本拠とした源頼信の子孫。 源氏と平氏の拠点は逆だったようです。 よく鎌倉は 源頼義 や 源義朝 が館を構えたことで源氏ゆかりの地といわれますが、 鎌倉権五郎景政 や平直方などの平氏ゆかりの地でもあります。 村岡御霊神社 (藤沢市) 村岡御霊神社 は、平良文が勧請したことに始まるという社。 良文の館は 村岡御霊神社 の近辺にあったのだといいます。 鎌倉坂ノ下の 御霊神社 の祭神・ 鎌倉権五郎景政 は良文の五代の孫に当たります。 景政も良文の村岡館に住んでいたと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ