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12月 22, 2019の投稿を表示しています

鎌倉宮の河津桜2019/12/28

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鎌倉宮の大鳥居下には3本の 河津桜 が植えられています。 ここ数年からすると、まず、左側の1本が年明けに見頃となり、1月中旬頃になると右側の1本が見頃となるのですが、今シーズンは右側が先に開花したようです。 左側の樹も、もう少しで開花しそうです。 見頃になってくるのは1月中旬頃になるのかもしれません。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉:荏柄天神社のお正月

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新年祭 1月6日 10:30 左義長神事・餅つき  1月15日 10:00 初天神・筆供養  1月25日 10:30 針供養  2月8日 10:30 拝殿前の 寒紅梅 が咲き始めました。 鎌倉一早く咲くという 寒紅梅 は、例年ですと、1月25日の初天神の頃に見頃を迎えます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 小田原梅まつり (2月2日から3月3日) 糸川桜まつり (1月11日から2月17日)

2020年も「涅槃図お絵解き講座」が開催されます。~北鎌倉:東慶寺~

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2018年、2019年に開催された「涅槃図お絵解き講座」が2020年も開催されます。 絵解き師は岡澤恭子先生。 お釈迦さまの誕生から涅槃に入られるまでの生涯をわかりやすくお話くださいます。 2月9日(日) 10時半〜12時(10時開場) 場所:東慶寺 本堂 料金:1000円(中学生まで500円) ※入山料は別途200円 ※申込等の詳細は 東慶寺のページ で。 涅槃図 東慶寺の涅槃図は、仏教学者・鈴木大拙の 松ヶ岡文庫 に残されていた版木から印刷したものを彩色したのだそうです。 涅槃図は、お釈迦さまが入滅されるときの情景を表わした図。 中央に横たわる金色の方がお釈迦さま。 周りには、十大弟子をはじめ、さまざまな生き物が嘆き悲しむ様子が描かれています。 涅槃図の下方にはたくさんの動物たち。 お釈迦さまのもとに一番早く駆けつけようと走り出したのが牛でした。 その次が鼠。 鼠は牛に追いつくと牛の背中に飛び乗ります。 途中で昼寝をしている猫に出会いますが、起こさずそのままにしておいたのだそうです。 そして、お釈迦さまのもとに到着する寸前、鼠は牛から飛び降り、一番にお釈迦さまのもとに駆けつけることができたのだとか・・・ 2番目に駆けつけたのが牛。 以下・・・虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪の順だったのだそうです。 以上の12の動物が干支となり、お釈迦さまのもとへ駆けつけた順番が干支の順番になったのだ言われているそうです。 ということで・・・ 昼寝していた猫は、涅槃図には描かれないことが多いようです。 それでも、京都の 東福寺 の大涅槃図のように猫が描かれているものもあります。 実は、東慶寺の涅槃図にも猫が描かれています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉幕府の御弓始

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除魔神事 (鶴岡八幡宮) 『吾妻鏡』によると・・・ 1189年(文治5年)正月3日、正月椀飯の宴会中に弓始め式を行うこととした 源頼朝 。 射手に指名された 下河辺行平 は、弓場に進み出て蹲踞(そんきょ)して片肌を脱ぎました。 頼朝が行平と競う者を募ると、修理進季長(しゅりのじょうすえなが)が進み出て行平の後ろに蹲踞しましたが・・・ 行平は先に進もうとしません。 行平の不満そうな様子を見て取った頼朝は、榛谷重朝を指名します。 席を立った重朝が行平と季長の間に蹲踞すると、行平は前へ進み出て弓を射はじめました。 季長は・・・ 恥ずかしくて元の席に戻らず逃げてしまったのだとか・・・。 それから6日後の正月9日、頼朝の嫡男・ 頼家 の小御所でも弓始めがありました。 一番  下河辺行平  対  曽我祐信 二番  結城朝光   対 和田宗実 三番 藤沢清親  対 橘公成 四番  三浦義連   対  海野幸氏 五番 榛谷重朝  対  和田義盛 御所での弓始めの儀式は、この前年の正月6日や1180年(治承4年)12月12日にも記録されていますが、幕府の行事として始められたのは、1189年(文治5年)からなのかもしれません。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 下河辺行平 は藤原秀郷の子孫で、頼朝からは「日本無双の弓取」と称賛された武将。 頼朝の嫡男・ 頼家 の弓術師範を務め、1195年(建久6年)11月6日には、頼朝から子孫まで源氏一門に准ずる旨の書面が与えられています。 修理進季長 は、おそらく 永福寺 の扉と仏壇の後壁の絵を描いた画家かと・・・。 榛谷重朝 は、桓武平氏・秩父氏の一族。 1181年(治承5年)4月7日、弓術に優れていた重朝は、下河辺行平らとともに頼朝の寝所を警護する11名に選ばれています。 他は、 北条義時 ・ 結城朝光 ・和田義茂・梶原景季・宇佐美実政・ 葛西清重 ・ 三浦義連 ・千葉胤正・八田知重。 曽我祐信 は 仇討ち で知られる 曽我兄弟 の養父。 曽我梅林 の梅まつりで催される 流鏑馬 は、祐信が弓馬の達人だったという故事から始められました。 橘公成 は、1180年(治承4年)12月12日、頼朝の新亭で行われた弓始めで射手を務めた武将。 海野