弓矢の道の習わし:武田信光と小笠原長清~承久の乱~
木曽川 『承久記』(慈光寺本)によると・・・ 東山道の大将軍は甲斐源氏の 武田信光 と 小笠原長清 。 軍勢が美濃国に到着したときのこと。 長清が 「現世は無常な所である。 いかがか武田殿」 と問いかけると信光は、 「鎌倉が勝てば鎌倉につき、京方が勝てば京方につく それが弓矢の道の習わしである」 と返したのだとか。 恩賞をもらうために戦うのが武士。 負ける側についていても意味がない。 このような考えを持っていると予想していた東海道の大将軍 北条時房 は、 「大井戸・河合の渡河に成功したならば、美濃・尾張・甲斐・信濃・常陸・下野六ヶ国を与える」 という書状を信光と長清に送ったのだという。 すると、 信光と長清の東山道軍は、大井戸渡に布陣する京方2万騎を撃破したのだとか。 虚空蔵堂 (美濃加茂市) 合戦場の正確な場所は不明ですが、中山道太田宿(美濃加茂市)の虚空蔵堂辺りが北端と考えられているようです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ