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12月 22, 2013の投稿を表示しています

2014藤沢七福神めぐり

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2014年の 藤沢七福神めぐり は、1月7日から1月31日。 藤沢七福神めぐり 諏訪神社(大黒天)   感応院 (寿老人)   常光寺 (福禄寿) 白旗神社 (毘沙門天)  養命寺 (布袋尊)   皇大神宮 (恵比寿) 龍口寺 (毘沙門天)   江島神社 (弁財天) 【参加用紙の配布場所】 小田急電鉄各駅 江ノ島電鉄(藤沢駅・江ノ島駅・鎌倉駅) 湘南モノレール(大船駅・湘南江の島駅) 藤沢七福神各神社・寺院 藤沢市内市民センター・公民館 藤沢市観光課 藤沢市駅前観光案内所 藤沢市観光センター 片瀬江の島観光案内所 完歩すると「開運干支暦手拭」を記念販売してくれます(100円)。 集印用の色紙も販売されています。 1部400円。 この色紙に8ヶ所全部のスタンプを押すと、 「開運干支暦手拭」が1枚無料で配布されます。 詳しくは、藤沢市観光課にお問い合わせください。 0466(25)1111(代表) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明朝様式の禅宗伽藍・・・黄檗宗大本山:萬福寺(宇治市)

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黄檗宗(おうばく)は禅宗の一派。 宇治にある 萬福寺 はその大本山です。 萬福寺 は、中国明の僧・隠元隆琦が開いた寺で、明朝禅を今に伝えています。伽藍様式も明朝風です。 総門 黄檗の名は、臨済宗開祖の臨済義玄(りんざいぎげん)の師である黄檗希運(おうばくけうん)からきています。 萬福寺 を開いた隠元は明で臨済宗を代表する僧でした。 そのため、「臨済正宗」などと呼ばれていましたが、明治7年に臨済宗黄檗派となり、明治9年には黄檗宗として独立しています。 三門・天王殿・大雄宝殿・法堂が一直線に並びます。 三門 天王殿 大雄宝殿 法堂 布袋尊 天王殿に安置されている布袋尊は、 日本最古の「都七福神」の一つ。 回廊 三門、天王殿、大雄宝殿、法堂の左右には諸堂が並び、全て回廊で結ばれています。 開版 食堂前の回廊には魚板。木魚の原形といわれています。 回廊 回廊の鐘 開山堂 萬福寺 は、創建当初の姿を伝える寺院。他では見ることの出来ない禅宗伽藍建築群です。 素人の写真ではその素晴らしさをお伝えできないのが残念ですが・・・。 駒蹄影園址 宇治は宇治茶の発祥の地。 萬福寺 の総門前に建てられている駒蹄影園址碑は、 高山寺 の明恵が、栂尾で育てた茶を移植させたことを伝える碑です。 そして、 萬福寺 を開いた隠元は、煎茶道の祖といわれています。 萬福寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて!

以仁王の令旨と源頼政と宇治平等院

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1180年(治承4年)、後白河法皇の第三皇子以仁王は、 源頼朝 をはじめとする全国の源氏に平氏打倒の 令旨 を発します。 以仁王は、邸宅が三条高倉にあったとことから「高倉宮」と呼ばれていました。 御所八幡宮 御所八幡宮 は三條坊門万里小路邸に建てられたのが始まり。 三條坊門万里小路邸は、以仁王(高倉宮)の邸宅があったので「高倉殿」とも呼ばれていました。 『吾妻鏡』によれば、4月9日、源頼政は息子の仲綱とともに三条高倉御所を訪れ、 源頼朝 をはじめとする全国の源氏に 令旨 を発し、平家を討ち滅ぼすことを申し入れました。 頼政は、源頼光を祖とする摂津源氏(参考: 六孫王神社 )。 1159年(平治元年)の 平治の乱 では平清盛に味方し、清和源氏の中では唯一人「従三位」に処せられた公卿でした。 以仁王と頼政の計画は、間もなく平氏方に露見し、5月26日、2人は南都の 興福寺 へ向かいます。 (興福寺の僧兵を頼ったものと考えられています。) 興福寺 当時の興福寺は多くの僧兵を抱えていました。 しかし、宇治で平氏の軍勢に追いつかれ合戦となってしまいます。 頼政は 宇治橋 の橋板を落とし、 平等院 に籠もって奮戦しましたが、平氏の大軍の前に敗れ、自刃しました。 扇の芝 : 平等院 (源頼政終焉の地) 扇の芝は観音堂の横 源頼政の墓 : 平等院 源頼政の墓がある塔頭最勝院 宇治橋 頼政が 平等院 で時間を稼いでいる間、以仁王は 興福寺 へと向かいますが、南山城の加幡河原で追討軍に追いつかれて討たれたといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて・・・

開運祈願・・・新春の鎌倉・江の島七福神巡り

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鎌倉・江の島七福神 浄智寺 布袋尊 浄智寺 は 鎌倉五山 の第四位に列せられた寺。福神は弥勒菩薩の化身といわれる 布袋尊 です。 鶴岡八幡宮 弁財天 鶴岡八幡宮 の 弁財天 は裸像。裸形像は鎌倉時代の特徴的な彫刻手法です。 鎌倉国宝館 に寄託されています。 かつては、 源氏池 の 旗上弁財天社 に祀られていたそうですが、 旗上弁財天社 は明治の神仏分離によって破壊されてしまいます。現在の社は、昭和55年に復元されたものです。 宝戒寺 宝戒寺 は北条一族の霊を弔うため、 後醍醐天皇 が 足利尊氏 に命じて建てた寺。 福神は本堂に安置されている毘沙門天。多聞天とも呼ばれ、東西南北の四天王の一つとしても知られています。 妙隆寺 寿老人 妙隆寺 は、 千葉常胤 の子孫胤貞の別邸があったことから「千葉屋敷」とも呼ばれた寺。 本堂前の堂には、欅一木造りの 寿老人 が祀られています。 本覚寺 夷神 本覚寺 は、 日蓮 の遺骨が分骨されていることから東身延とも呼ばれる寺。もとは 源頼朝 が 御所 の鬼門に祀った 夷堂 があった所です。 夷堂 は、明治の神仏分離によって移転させられ、 蛭子神社 となりましたが、昭和58年、 本覚寺 の境内に再建されました。 正月は「 鎌倉えびす 」で賑わいます(正月1日から3日まで「初えびす」、10日には「本えびす」)。 長谷寺 大黒天 長谷寺 は、日本最大級の 木造十一面観音 を本尊とする寺。 坂東札所 四番。 大黒堂 に安置されているのは「出世開運授け大黒天」。宝物館には、神奈川で一番古い尊像が収蔵されています。 御霊神社 福禄寿 御霊神社 は、平安時代に 大庭御厨 を開拓した 鎌倉権五郎景政 を祀る神社。景政の武勇伝から眼病の神として親しまれいます。 福神の福禄寿は、秋の 面掛行列 に参加する十人衆の一人「福録」にちなんだもの。 江島神社 弁財天 江の島 は、古くから神仏混淆の霊地として信仰を集めた島。 江島神社 の 辺津宮 にある 奉安殿 には、 源頼朝 が勧請したともいわれる「八臂弁財天」と、裸像として知られる「妙音弁財天」が安置されています。 江戸