石和八幡宮 (笛吹市) 武田信光 (たけだのぶみつ)は、 新羅三郎義光 を祖とする甲斐源氏5代当主。 父は武田氏初代の 信義 。 源頼朝 に仕えて活躍し、 小笠原長清 、 海野幸氏 、 望月重隆 とともに 弓馬四天王 の一人に数えられました。 石和八幡宮 は、信光が 鶴岡八幡宮 を勧請し、弓馬術の聖地として信仰された神社。 武田信光の宝篋印塔 (伊豆の国市: 信光寺 ) 伊豆の国市 の 信光寺 は信光が創建した寺院。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~弓馬四天王~ 『吾妻鏡』によれば、 1187年(文治3年)8月15日、 源頼朝 は 鶴岡八幡宮 で放生会を催します。 信光は、その時奉納された 流鏑馬 で射手に選ばれています。 これが鶴岡八幡宮の流鏑馬の起源となります。 1193年(建久4年)8月16日の流鏑馬では、 弓馬四天王 がそろって射手に選ばれています。 頼朝亡き後も活躍し、1221年(承久3年)の 承久の乱 では、東山道の大将軍として兵を率い、乱後には安芸国守護に任じられました。 ※安芸国守護に任じられた時期には諸説あるようです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 持国天と増長天 ( 東大寺大仏殿 ) 1194年(建久5年)、 源頼朝 は 東大寺大仏殿 の虚空蔵菩薩・如意輪観音と四天王像の造立を御家人に命じています。 持国天を造立したのが 武田信光 でした。 参考までに、従兄弟の 小笠原長清 が多聞天を造立しています。 これらの仏像は 運慶 とその一族によって造立されたものだったのだとか・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 武田流流鏑馬 武田流流鏑馬 は、 武田信光 を祖とする安芸武田氏に伝えられた弓馬術。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆