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11月 5, 2023の投稿を表示しています

紫式部が上陸した琵琶湖の塩津浜

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996年(長徳2年)、 紫式部 は越前守となった父 藤原為時 に同行して 越前国武生 へ下向します。 都を発った一行は 逢坂の関 を越えて大津へ。 大津の 打出浜 から船出して湖西を通って 三尾崎付近 に停泊した後、 塩津浜 に上陸。 その後、塩津山(深坂峠)を越えて敦賀に入り、敦賀から越前国府のある 武生 へ向かったのだといわれています。 塩津浜 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

藤原顕光の怨霊伝説~祟られた道長の娘たち:堀河院跡~

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堀河院 (堀河殿)は、藤原氏の邸宅。 伝説によると・・・ 左大臣・ 藤原顕光 の次女で 三条天皇 の第一皇子・敦明親王の妃となった藤原延子は、敦明親王とともに 堀河殿 に住んでいたが・・・ 敦明親王は、 藤原道長 が三女の 寛子 を嫁がせると 堀河殿 を出て 高松殿 へ移ってしまう・・・ 延子は、悲嘆のあまりに病に伏し、1019年(寛仁3年)に亡くなっている。 2年後の1021年(治安元年)には、 藤原顕光 が薨去。 二人の死後に起こったのが 道長 の娘たちの死。 1025年(万寿2年)、延子から敦明親王を奪った 藤原寛子 が病死。 同年、六女で敦良親王(のちの 後朱雀天皇 )の妃・ 藤原嬉子 が出産直後に急死。 敦良親王は、敦明親王が東宮(皇太子)を辞退したことで、東宮となっていた。 1027年(万寿4年)、次女で 三条天皇 の中宮だった 藤原妍子 が崩御。 道長の娘たちの死は、顕光と延子の怨霊の祟りと恐れられたのだという。 堀河院 は、 顕光 の死後、 藤原頼通 の所有となり、師実・師通・忠実に伝領された後、堀河天皇の中宮・篤子内親王に献上されたらしい。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2023鎌倉の紅葉と特別拝観等の情報!

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鎌倉は冬紅葉。 見ごろは11月下旬からになると思います。 旧一条恵観山荘 は、11月1日(水)から12月10日(日)まで休まず営業。 明月院の本堂後庭園 は、ユニセフ募金(300円)に協力すると入れるようですが、紅葉が見ごろになると500円。 長壽寺 の秋の拝観日は、例年、11月末までの金曜・土曜・日曜・祝日と12月1日から6日となっています。 雨天の場合は拝観できません。 長谷寺 の 夜間特別拝観 (ライトアップ)は、2023年は11月23日(木・祝)~12月3日(日)。 この他、 覚園寺 でも11月20日(月)~12月10日(日)にライトアップが行われます。