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源頼朝の隅田宿を訪れた寒河尼

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東白鬚公園 (東京都墨田区) 墨田区の東白鬚公園は、平安時代末頃の隅田宿があった場所と推定されています。 1180年(治承4年)10月2日、鎌倉を目指す 源頼朝 は隅田宿に布陣。 その宿所に頼朝の乳母 寒河尼 が14歳の末子を連れてやってきました。 寒河尼 が子を側近として奉公させたいと願うと、頼朝は烏帽子親となって元服させたのだといいます。 名は小山七郎宗朝(のちに 朝光 と改められます。)。 寒河尼 は、下野国の有力な武将・ 小山政光 の妻。 頼朝が挙兵したとき政光は大番役で京都にいたそうですが、 寒河尼 の行動で小山氏は頼朝に従うこととなったのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

鷺沼旅館で源頼朝と対面した全成

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鷺沼城址 (習志野市) 1180年(治承4年)10月1日、相模国へ向けての進軍中の源頼朝が宿泊したという鷺沼旅館は、 鷺沼城 ではなかったかと考えられています。 その鷺沼旅館に駆けつけてきたのが頼朝の異母弟全成。 全成は 常盤御前 が産んだ子で 源義経 の同母の兄。 平治の乱 後、 醍醐寺 に入って出家しましたが、頼朝の挙兵を聞いて秘かに 醍醐寺 を抜け出しました。 石橋山の戦い には間に合いませんでしたが、 佐々木定綱 ・ 盛綱 ・ 高綱 の兄弟と出会い、相模国の 渋谷重国 に匿われていたのだと伝えられています。 全成に対面した頼朝は涙を流して喜んだのだとか・・・ 醍醐寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

秋の鎌倉:旧川喜多邸の一般公開

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旧川喜多邸別邸 ヨーロッパ映画を日本に紹介した映画事業家・川喜多長政の別邸が無料公開されます。 10月2日(土)・3(日) 10:00~16:00 旧川喜多邸別邸 は、哲学者の和辻哲郎が居宅として使用していた建物を川喜多長政・かしこ夫妻が移築したもの。 海外から訪れる映画監督や映画スターたちを迎える場として使用されました。 アラン・ドロンも来たのだとか。 11月2日(火)~7日(日)には特別公開もあります。 特別公開は鎌倉市川喜多映画記念館の入館とセットとなります(400円)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

平重衡が信仰した阿弥陀さま~鎌倉:教恩寺~

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教恩寺 の本尊は、 一ノ谷の戦い で捕えられた 平重衡 が信仰した阿弥陀如来像。 源頼朝 が「一族の冥福を祈るように」と重衡に与えたのだといいます。 重衡が往生できるよう祈願すると阿弥陀像が三度うなずいたのだとか・・・ 山門の十六羅漢の彫刻 教恩寺 は、 光明寺 境内にあったのだといわれ、後に浄土宗から時宗に改宗されたのだといいます。 境内に置かれている旧鬼瓦には、時宗の「折敷に三」の紋。 源頼朝 が酒宴の席で、折敷に「一」・「二」・「三」と書き、「一」を自分の前に、「二」を北条時政の前に、「三」を河野通信の前に置いたことから、河野家の家紋が「折敷に三」となったのだといわれています。 時宗開祖の一遍は、伊予の河野氏の出身。 時宗の宗紋は、河野氏の家紋から採用されたのだと伝えられています。 教恩寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

元鶴岡八幡宮~由比若宮~

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鎌倉と源氏の繋がりは、河内源氏の二代棟梁源頼義が平直方から鎌倉の地を譲り受けたことに始まります。 鎌倉を東国支配の拠点とした頼義は、前九年の役を平定した後、戦勝を祈願していた京都の 石清水八幡宮 を由比郷に勧請しました。 それが 由比若宮 。 若宮とは、神霊を他所に分霊して祀った社、又は、本宮の祭神の子を祀った社のこと。 由比若宮は前者。 後に 源頼朝 が小林郷に遷宮しますが、「鶴岡八幡宮新宮若宮」と称されたそうです。 源義家旗立ての松 源義家は頼義の子。 義家は東国武士団を率いて後三年の役を平定。 自らの私財をはたいて家来へ恩賞を与えたことで「武神」と崇められました。 元八幡 由比若宮 は、 源頼朝 によって小林郷に遷されたことで、元鶴岡八幡宮と呼ばれます。 石清水の井 石清水八幡宮 は、京都の裏鬼門を守護神として創建されました。 男山に湧き出す 清水 を神として祀ったことが起こりと伝えられています。 由比若宮 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ