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2月 10, 2013の投稿を表示しています

見頃!鎌倉:荏柄天神社の寒紅梅2013/02/16

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荏柄天神社 の 寒紅梅 がようやく見頃です。 古代青軸 も咲き始めました。 そろそろ、拝殿前で 寒紅梅 と 古代青軸 の紅白共演です。 門前では ミツマタ が咲き始めています。 参道の梅も咲き始めました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:梅の名所 鎌倉手帳

鎌倉:梅情報・・・円覚寺・東慶寺2013/02/16

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今年は、梅の開花がだいぶ遅れていますが・・・。  円覚寺 仏殿 横 龍隠庵 居士林 東慶寺 門前 鐘楼 前 本堂 前 水月堂前 見頃はまだ先です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:梅の名所 鎌倉手帳

鎌倉:浄智寺のロウバイ2013/02/16

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浄智寺 の ロウバイ 。きれいに咲いています。 ミツマタ が咲き始めています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉のロウバイ 鎌倉手帳

鎌倉:円覚寺居士林のスイセンと福寿草2013/02/16

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円覚寺 塔頭 済蔭庵 (居士林)の スイセン と 福寿草 。 柳生の剣道場を移築した建物と スイセン ・ 福寿草 がよく似合います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉のスイセン 鎌倉の福寿草 鎌倉手帳

「リビングまちだ・さがみ」に掲載された光則寺:カイドウの写真

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女性のための生活情報誌 「リビングまちだ・さがみ」 の 「花カレンダー」 に、私の撮った光則寺のカイドウの写真を掲載して頂きました(2013年2月16日号)。 カイドウの花の美しさを十分に伝えられるような写真ではありませんが、素人の写真ということでご容赦願いたいと思います。 採用して頂きました担当者の方には感謝申し上げます。 さて・・・今年の桜(ソメイヨシノ)の開花予想は平年並みということです。 例年、 カイドウ は ソメイヨシノ が終わる頃に見頃となりますので、今年は、4月上旬から中旬頃になるのでしょうか・・・。 掲載して頂いた写真は、昨年の4月15日に撮ったものです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉三大カイドウ 鎌倉手帳

世界文化遺産候補・・・富士山とイコモスからの要請

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「富士山」は、昨年1月、「武家の古都・鎌倉」とともに、世界文化遺産への推薦が決定されました。 文化庁の報道発表(平成24年1月25日)によると、その概要は・・・ 富士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰の秀麗な円錐成層火山として世界的に著名であり、その荘厳で崇高な形姿を基盤として日本人の自然に対する信仰の在り方や日本に独特の芸術文化を育んだ山である。 山岳に対する信仰の在り方や、海外に影響を与えた19世紀後半の葛飾北斎や歌川広重などによる顕著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独特の芸術文化を育んだ山である。 時代を超えて、一国の文化の諸相とも極めて深い関連性を示し、山に対する信仰の文化的伝統を表すのみならず、世界的な「名山」としての景観の類型の顕著な事例として顕著な普遍的価値を持つ山である。 武家の古都・鎌倉からの富士山 ( 建長寺 ・ 半僧坊大権現 の富士見台より) この「富士山」ですが、国際記念物遺跡会議(イコモス)から登録資産名称「富士山」の変更を要請され、「富士山およびその関連巡礼遺産群」という変更案が提示されたそうです。 また、構成資産から「三保松原」を除外するよう求められたと発表されているようです。 「武家の古都・鎌倉」には、このような要請はなかったようですが・・・ 要請があった方がいいのでしょうか?なかった方がいいのでしょうか・・・? 心配なところです。 源頼朝 が流された 伊豆韮山 からの富士山 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 世界文化遺産候補21の史跡 鎌倉手帳

鎌倉:桜の開花予想2013

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2013年2月7日の日本気象協会の発表によれば、今年の桜(ソメイヨシノ)の開花は平年並みとのこと。 横浜の開花予想は3月25日頃(平年開花日3月26日)。昨年は4月2日でしたので、昨年より1週間程度早いようです。 昨年(2012年)4月12日の 段葛 。 昨年の鎌倉の桜は、4月8日の 「花まつり」 (降誕会)の頃に見頃を迎えました。 「鎌倉まつり」 は桜の花の中で開催されています。 今年はそれより1週間早いとすると・・・4月1日頃に満開となるのでしょうか。楽しみです。 長谷寺の花まつり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:桜の名所 鎌倉手帳

聖武天皇が発した国分寺建立の詔と相模国分寺

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国民に大きな幸福をもたらしたいと願う聖武天皇は、各国に七重塔を建て、金光明最勝王経と妙法蓮華経各10部を写経させることとし、自らも金字の金光明最勝王経を写し、塔ごとに納めることを思いつきました。 そして、741年(天平13年)2月14日、「国分寺建立の詔」を発します。 こうして各国の国府が置かれている地に国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)が建立され、大和国の 東大寺 と法華寺は、その総本山として位置付けられました。 東大寺 その布告には・・・ ★国分僧寺には、寺の財源として封戸を五十戸、水田十町を施し、国分尼寺には水田十町を施すこと。 ★国分僧寺には、二十人の僧を住まわせ、その寺の名は「金光明四天王護国之寺」(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)とし、国分尼寺には十人の尼を住まわせ、その寺の名は「法華滅罪之寺」(ほっけめつざいのてら)とすること。 二つの寺は距離を置いて建て、僧尼は教戒を受けるようにすること。 もし僧尼に欠員が出た場合には、直ちに補充すること。 毎月8日に、必ず最勝王経を読み、月の半ばには戒喝羯磨(かいかつま)を暗誦すること。 ★毎月の六斎日(8・14・15・23・29・30日)には、漁や狩りをして殺生してはならない。 と記されているようです。 復原された 相模国分寺の七重塔 (海老名市) 相模国分寺 は、海老名に建てられたといいます。 相模国の国府は平塚にあったと考えられていますので、相模国の場合、特殊なケースだったのかもしれません。 そんな国分寺も律令体制が緩みはじめると荒廃していきます。 源頼朝 は、東海道各国や相模国近国の国分寺修復に努めました。 相模国分寺 もその一つだったと考えられます。 また、妻 北条政子 の安産祈願のため神馬も奉納しています(参考: 北条政子の安産祈願所 )。 相模国:一国一社の 平塚八幡宮 平塚八幡宮 は、「一国一社の八幡宮」とされ、国府や国分寺の守護神の役割を果たしていたといいます。 相模国分寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて!