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7月 12, 2020の投稿を表示しています

円覚寺に尾張国富田庄を寄進した北条時宗

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円覚寺 は、八代執権 北条時宗 によって、1281年(弘安4年)から建て始められ、1282年(弘安5年)12月8日に開堂供養が行われています。 開山に迎えられたのは、宋から渡来した 無学祖元 。 建立の目的は「鎮護国家」(仏法によって国家を鎮め護ること。)と、「蒙古襲来(元寇)による戦没者の敵味方のない供養」だといわれています。 ※帰国を希望していた祖元のために建立したという説もあるようです。 北条時宗書状 (弘安6年7月18日) 創建の翌年、北条時宗は、寺領として尾張国富田庄を寄進しています。 7月18日付けの時宗の書状(国重文)では、将軍家御願寺としたこと、寺領が確定したことなどが祖元に伝えられています。 無学祖元書状 (弘安6年7月18日) これに対し祖元は、7月18に時宗へ感謝の書状(国重文)を送るとともに、衆僧に「千万勉力せよ」と説法したといいます。 ※時宗と祖元の書状は、宝物風入で拝観することができます。

北条義時下文

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平保業を播磨国在田道山荘の預所職に任命した文書。 平保業は、池大納言と呼ばれた平頼盛の子。 頼盛の母は 源頼朝 の助命嘆願をした 池禅尼 。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 『北条義時下文』は『朽木家古文書』(重要文化財)の一つ。 朽木氏は近江佐々木氏の一族。 承久の乱 後、佐々木信綱は近江国高島郡朽木荘の地頭職を与えられました。 その子孫義綱が朽木氏を称したことに始まります。 戦国の世を生き抜き、江戸時代になってからも、旗本あるいは大名として存続しました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河は北条義時

GO TO トラベル・・・東京発着の旅行は対象外

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7月10日、Go To キャンペーン事業のうち、Go To トラベルが7月22日から実施されることが発表されましたが・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 東京発着の旅行は対象外 7月16日、東京の新型コロナウイルスの感染者数が多いことや、東京から感染が広がっていることなどから、東京発着の旅行は対象外とすることが発表されました。 ○東京が目的となっている旅行については都内の旅行も含めて対象外 ○東京都に居住する人も事業の対象外 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 補償はなし??? 7月10日の事業開始発表の時点で、旅行予約後、県外をまたぐ移動の自粛要請等が出された場合の事業等の取り扱いについて観光庁に問い合わせたところ、キャンセル料等の補償はないとの回答を受けております。 今回の東京対象外の運用変更でも、すでに東京にお住まいの方が7月22日以降の旅行を予約されていたとしても、事業の対象にはならずキャンセル料等の補償はないのかもしれません。 今後も運用の変更があるかもしれませんし、事業に反対している自治体の首長もいるので、これから事業を利用しての旅行をお考えの方は、情報の確認が必要です。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

橋寺放生院~宇治橋の守り寺~

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橋寺は、宇治橋の管理を任されていたことから「宇治橋の守り寺」と呼ばれる寺。 宇治橋断碑 「宇治橋断碑」は、1791年(寛政3年)に発見された我が国最古といわれる石碑。 本尊は鎌倉時代の地蔵菩薩。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

源頼朝が奥州征伐の戦勝を祈願した井草八幡宮

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井草八幡宮 は、縄文期から祀られ、神社としての形態をととのえたのは平安時代末期といわれています。 始めは春日社を祀っていたようですが、 源頼朝 が 奥州征伐 の戦勝祈願をしたことで八幡大神(やはたのおおかみ)を主祭神とするようになったのだとか。 この地域は遅野井と呼ばれていたことから、明治期までは、遅野井八幡宮と称していました。 頼朝公御手植の松 1189年((文治5年)、 源頼朝 は 奥州平泉 の藤原泰衡討伐のため出陣します。 その途次、 井草八幡宮 に立ち寄って戦勝祈願を行いました。 奥州征伐 を成功させた頼朝は、1193年(建久4年)、井草八幡宮の境内に自らの手で雌雄二本の松を植えたのだそうです。 しかし、雌松(赤松)は明治時代に枯れてしまい、東京都の天然記念物に指定されていたという雄松(黒松)も1965年(昭和40年)の強風の被害を受け、1973年(昭和48年)に枯れてしまったそうです。 現在の松は二代目。 1973年(昭和48年)に枯れてしまった黒松を輪切りにしたもの。 黒松は、高さ40メートル、周囲5メートルの大木だったそうです。 井草八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/igusahatiman.html

御手洗井と御旅所~京都:祇園祭~

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御手洗井 中京区手洗水町の 御手洗井 は、 祇園祭 の宵々山の7月15日から還幸祭の7月24日までの間に開放される井戸。 ここは、祇園社(八坂神社)御旅所社務・藤井助正の屋敷跡。 織田信長が上洛する際に御旅所は移転させらますが、水質が良いことから、 祇園祭 の際には開放されていたのだといいます。 現在の御旅所 四条御旅所、祇園御旅所と呼ばれています。 7月17日、八坂神社を出発した三基の神輿は、7月24日の還幸祭までここに留まります。 四条御旅所の八坂神社神輿 八坂神社 https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/yasaka-jinjya.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ