安達館があったのは無量寺ヶ谷
鎌倉歴史文化交流館 のある場所には、京都の 泉涌寺 末の無量寺があったのだといいます。 無量寺は安達邸内にあった寺院ともいわれ、『吾妻鏡』によると、1265年(文永2年)、安達義景の十三回忌供養が行われています。 古くから安達館は、 甘縄神明神社 の東南あたりがそうではないかと伝えられてきたようですが、近年では無量寺ヶ谷(現在の扇ガ谷)にあったと考えられているようです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ (参考:明王院建設計画) 『吾妻鏡』によると・・・ 四代将軍 藤原(九条)頼経 による創建とされる 明王院 は、その建設予定地が二階堂→甘縄→大倉と変更されました。 甘縄に変更されたときには「安達義景の南、千葉時胤の北、西山の周辺」と記されています。 千葉氏の屋敷は市役所の北側辺りにあったのだといわれています。 甘縄というと長谷の 甘縄神明神社 近辺と考えてしまうかもしれませんが、鎌倉時代の甘縄の範囲は坂ノ下の 御霊神社 辺りから扇ヶ谷を含めた広範な地だったようです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ