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藤原秀衡の遺言と奥州藤原氏の滅亡

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藤原秀衡 は奥州藤原氏の第三代当主。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1174年(承安4年)に 鞍馬寺 を出奔して 平泉 へ下ってきた 源義経 を匿い、1180年(治承4年)に 源頼朝 が 挙兵 すると、頼朝のもとへ駆けつける義経に佐藤継信・忠信の兄弟をつけて送り出しました。 その後、 義経 は、 一ノ谷 ・ 屋島 で平家を敗走させ、1185年(元暦2年)3月24日、 壇ノ浦 で平家を滅ぼしますが、間もなく頼朝と対立して逃亡生活を送るようになり、1187年(文治3年)の春頃、再び 平泉 の 秀衡 のもとに戻ってきました。 📎源義経の奥州下り~平治物語~ 📎歴史めぐり源頼朝~義経と涙の対面~ 📎源平合戦 鏡の宿 (源義経元服の地) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 秋になって・・・ 頼朝 は、朝廷に「秀衡が義経を助けて関東に反逆しようとしていること」の申し入れを行ったことで、 秀衡 に対して「院庁下文」が出され、院庁からの使いが派遣されました。 頼朝も鎌倉からも雑役を派遣しています。 秀衡 の回答は「背くつもりはない」という内容だったようですが・・・ 9月4日、頼朝が派遣した雑役が奥州から鎌倉へ戻ります。 その報告では「すでに反逆の準備を進められている」というものだったのだそうです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ それから2ヵ月が経った10月29日・・・ 北方の王者・ 藤原秀衡 が 平泉館 で亡くなります。 『吾妻鏡』には、「義経を大将軍として国務せよ」と嫡子の泰衡をはじめとする子らに遺言していたことが記されています。 また、『玉葉』は、長男国衡と次男泰衡に対して「源義経を主君として仕え、ともに団結して頼朝の攻撃に備えよ」と遺言し、 後継者は次男の泰衡(正室の子)とし、長男国衡(側室の子)には、秀衡の正室を娶らせ、互いに異心をもたない旨の起請文を書かせ、義経にも起請文を書かせたことを伝えています。 柳之御所遺跡 ~平泉館跡~ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ しかし、 秀衡 の跡を継いだ泰衡は・・・ 頼朝 からの圧力に屈し、 義経 の首を頼朝に差し出すことで平泉の平和を守ろうと考えるようになります。 そして、1189年(文治5年)閏4月30日、 義経 の 衣川館 を襲撃し、

問注所を移転させたかった源頼朝

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問注所 は、幕府の訴訟事務を所管する機関。 問注所跡碑 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~御所内に置かれた問注所~ 『吾妻鏡』によると・・・ 1184年(元暦元年)10月20日、 御所 の東面の庇の下の二間に設けられ、問注所と書かれた額が掲げられました。 初代の執事には三善康信が任命されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 三善康信は、 伊豆 に流されていた 源頼朝 に定期的に京都の情報を伝えていた公家。 母が頼朝の乳母の妹だったようです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~ 移 転 ~ 頼朝の時代には、御所の一所に原告と被告を呼び出して争わせていましたが、多くの者が集まって騒ぎ立て、無礼をはたらく者もいたようです。 『吾妻鏡』によると・・・ 1192年(建久3年)11月25日、頼朝の前で武蔵国の熊谷郷と久下郷の境界争いの裁判が行われます。 問注所に出頭したのは、 熊谷直実 と久下直光。 しかし・・・ 口べたで頼朝の質問に上手に答えることができない直実は、憤怒して書類を投げ捨てて座を立ってしまいます。 さらに、西の侍所で刀を抜いて髻を切り、私宅へも帰らず逐電してしまいました。 あっけにとられた頼朝。 この事件があってから裁判は三善康信邸で行うこととなります。 その後、裁判を行う場所について議論が重ねられてきたようですが、1199年(建久10年)4月1日に御所の外に新造されることとなったようです。

三崎港の海南神社

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海南神社 は、三崎港の北側の山手に鎮座する三浦の総鎮守。 三浦義明は、1180年(治承4年)の源頼朝挙兵の折、この神社で占ったところ、白と赤の狐が現れて戦い、白の狐が勝ったので源氏についたのだと伝えられています。 筌龍弁財天は三浦七福神の一つ。 鎌倉権五郎景政を祀る御霊神社 源為朝を祀る疱瘡神社 龍神水神社 手水舎 源頼朝お手植えの雌雄の大銀杏 福徳稲荷神社 神楽殿 海南高家神社 神馬舎 ~三崎港~ 大椿寺と本瑞寺の門前 見桃寺の門前 海南神社 https://www.yoritomo-japan.com/kainanjinjya.htm

北条政子が奉納した梅蒔絵手箱~三嶋大社~

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梅蒔絵手箱 (模造) 画像は 東京国立博物館 のページより 三嶋大社 の梅蒔絵手箱は、 北条政子 の奉納と伝えられています。 手箱には化粧道具一式34点が納められ、鎌倉時代の代表的な蒔絵の工芸品として国宝に指定されています。 三嶋大社 https://www.yoritomo-japan.com/misima-taisha.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

大磯町の照ヶ崎海岸で行われる高部屋神社の汐汲み神事

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昨年(2017年)、150年ぶりに復活した 高部屋神社 の 汐汲み神事 。 例大祭の前に海水・ホンダワラ(海藻)・浜砂を採取する神事で、大磯町の照ヶ崎海岸で行われます。 神事が終わると、採取された海水・ホンダワラ・浜砂が 高部屋神社 に持ち帰られ、例大祭に用いられます。  今年(2018年)の 汐汲み神事 は・・・ 9月8日(土)10:00~ ※雨天の場合は13日(木) 汐汲み神事 https://www.yoritomo-japan.com/takabeya-siokumisinji.html 高部屋神社は、 延喜式内相模十三社 の一つ。 例大祭は9月16日(日) 高部屋神社 https://www.yoritomo-japan.com/takabeya-jinjya.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆