2022年の大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。 鎌倉幕府二代執権の北条義時が鎌倉幕府の権力者となるまでを描いたドラマということです。 鎌倉殿とは鎌倉武家政権の長。 13人とは源頼朝に仕えた有力者たち。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 『吾妻鏡』によると・・・ 1199年(建久10年)1月13日、偉大な将軍源頼朝が死去すると、嫡男の頼家は20日に左中将となり、26日には頼朝の家督を相続します。 しかし・・・ 頼家の政治手腕に不安を抱いた老臣たちは、4月12日、頼家が直接訴訟を裁断することを停止させ、宿老十三人による合議によって裁判することを決定しています。 その十三人とは、 北条時政 北条義時 大江広元 三善善信 中原親能 三浦義澄 八田知家 和田義盛 比企能員 安達盛長 足立遠元 梶原景時 二階堂行政 これに対して頼家は、4月20日、お気に入りの近衆5人を指名して、「鎌倉の中でこの5人がどのような狼藉を働いたとしても庶民は歯向かってはならない。しかも、この5人以外の者は、頼家にお目通りできない」という決定をしたのだとか。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 「宿老十三人の合議制」 は、頼家が若年であるとの理由から執られた措置のようでもありますが、頼家の乳母夫比企氏と北条氏の対立など、幕府の実権争いが根底にあったものと考えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ その後どうなったのか・・・ 1199年(正治元年)12月18日、梶原景時が鎌倉を追放され、翌年1月20日、駿河国で滅亡( 梶原景時の変 )。 1203年(建仁3年)5月19日、頼家への謀叛を企てた阿野全成が捕えられ、6月23日、常陸国で処刑される( 阿野全成の誅殺 )。 全成は頼朝の異母弟で、北条時政の娘婿。 時政の源実朝擁立の企てに協力していたようです。 1203年(建仁3年)7月、頼家が病に倒れて危篤状態に。 8月27日、家督を日本国総守護職と関東28カ国の地頭職を一幡(頼家の嫡子)に、関西38カ国の地頭職を千幡(のちの実朝)に譲るという措置がとられる。 それを知った頼家は、9月2日、比企能員を呼び出して北条氏を誅伐するよう命令を下しますが・・・ 先手を打った北条時政は能員を自邸に誘