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1月 29, 2023の投稿を表示しています

小田原梅まつり~小田原城址公園・曽我梅林~

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2月4日(土)から小田原梅まつりが始まります。 小田原城址公園 と 曽我梅林 の同時開催です。 曽我梅林 は、小田原北条氏(後北条氏)が梅の実を兵糧用にするため植えられたのがはじまりといわれ、江戸時代には、小田原藩主の大久保氏によって奨励されました。 曽我の里には、曽我兄弟ゆかりの城前寺・宗我神社、兄弟の養父曽我祐信の墓・母満江御前の墓などの史跡があります。

千本ゑんま堂~紫式部の供養塔がある小野篁ゆかりの寺~

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千本ゑんま堂 は、現世と冥途とを行き来して閻魔法王とも交流があったと伝えられる小野篁が建立したゑんま堂を始まりとするらしい。 盂蘭盆会では鐘をついて先祖の精霊をお迎えします。 紫式部供養塔 あの世で不遇に陥っている 紫式部 を救うために建てられたのだとか。 千本ゑんま堂 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

小田原:大久寺~大久保家の菩提寺~

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1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐後、 徳川家康 は関東に移封されます。 小田原城 には、家康の家臣で遠江国の 二俣城 の城主だった大久保忠世が入城。 大久寺 は、忠世が城下に創建した大久保家の菩提寺。 大久保一族の墓所 大久寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

武田信玄が築いた久能城の石垣~久能山東照宮~

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久能城の石垣 久能山東照宮 がある久能山には、推古天皇の時代に建てられた久能寺がありました。 源頼朝 は所領を寄進し、 源義経 は「薄墨」と呼ばれる笛を奉納したと伝えられています。 戦国期になると久能山には 武田信玄 によって久能城が築かれます。 信玄が駿河侵攻を開始した1568年(永禄11年)の築城と考えられ、この時、久能寺はへ移転されています。 1582年(天正10年)に武田氏が滅びると、久能城は徳川の城となり、 家康 が亡くなると城は廃されて東照宮が創建されました。 久能山東照宮 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆