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3月 6, 2011の投稿を表示しています

江ノ電「江ノ島駅」の小鳥たち

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江ノ島駅 前にある車止めのオブジェの小鳥たちです。 江ノ島駅 売店に勤務していた石川さんが毛糸の手編みの服を着せてくれています。石川さんが編んだ服は、これまでに1000着を超えているそうです。 優しい人というのは、こういう人のことをいうのでしょうね。 1ヶ月に1着から2着のペースで着替えているようです。 江ノ島駅 の待合室には、 これまでの服や石川さんと小鳥たちの写真が展示されています。 江ノ電は、昨年、石川さんに感謝状を授与しました。 江ノ電駅のイルミネーション とサンタの服の小鳥たち。 江ノ電で鎌倉巡り~江ノ島駅~ http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enoden9.htm 江の島 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enosima.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

光則寺のカイドウ~鎌倉三大カイドウ~

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光則寺 は「カイドウの寺」として知られ、境内に7本のカイドウが植えられています。 光則寺 の本堂前のカイドウは樹齢200年ともいわれる古木。 鎌倉三大カイドウ の一つに数えられています。 鎌倉市の天然記念物に指定され、神奈川県の名木100選にも選ばれています。 鎌倉三大カイドウ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/kaido.htm 光則寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136kosokuji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

馬車道駅の壁面展示物

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横浜高速鉄道みなとみらい線の馬車道駅の壁です。 馬車道駅の地上にあった旧横浜銀行本店別館の 金庫扉、貸金庫、階段手摺などのパーツが展示されています。 横浜市認定歴史的建造物の馬車道大津ビルで、 1960年(昭和35年)から40年近く使われいた温水ボイラ前面パネルです。 神奈川の歴史・自然 http://okadosblog.blogspot.com/p/blog-page_21.html

鵜島(うじま)~江の島~

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鵜島は、江の島防波堤のすぐ向こう側にある岩です。 江の島 が開かれたときに、 ここに、弁財天の使いだといわれる12羽の鵜が舞い降りたと伝わっています。 そのため「鵜島」(うじま)と呼ばれているそうです。 腰越では鯨磯とか鯨岩と呼んでいたそうです。 江の島 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enosima.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

東海道神奈川宿~横浜:神奈川区~

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神奈川宿 (安藤広重) 神奈川宿は、日本橋から3番目の東海道の宿場町です。 かつての神奈川区台町あたりは、神奈川湊を見下ろす東海道でも屈指の景勝の地だったそうです。 1854年(安政元年)の神奈川条約(日米和親条約)締結の舞台ともなりました。 台の茶屋 神奈川区台町あたりは、神奈川の台と呼ばれていました。 弥次喜多道中で知られる『東海道中膝栗毛』には、「ここは片側に茶店軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下桟などわたして、浪うちぎはの景色いたってよし」とあります。 神奈川宿が賑わっていたことから続いているのが料亭の「田中家」です。 1863年(文久3年)の創業という老舗です。 「田中家」の前身は「さくらや」で、安藤広重の東海道五十三次にも描かれています。 高杉晋作やハリスなども訪れたといいます。 田中家では、坂本龍馬の妻おりょうが働いていました。 明治7年、勝海舟の紹介で働き始めたそうです。 英語が話せたおりょうは、外国人の接待に重宝されたといいます。 現在の田中家 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

神奈川台の関門跡~横浜:神奈川区~

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神奈川台関門跡 1859年(安政6年)、横浜が開港されると、外国人の殺傷事件が相次いで発生したそうです。 イギリス総領事オールコックをはじめとする各国の領事から非難を受けた幕府は、横浜の主要地に関門や番所を設けました。 神奈川宿にも東西にも関所が設けられ、神奈川台の関門は西側の関門に当たります。 ※現在の神奈川区台町あたりは「神奈川の台」と呼ばれた景勝の地でした。 関門の様子 1859年(安政6年)に設置された関門は、1871年(明治4年)に廃止されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

旧生糸検査所~通称:キーケン:横浜第二合同庁舎~

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横浜は1859年(安政6年)に開港し、当時、日本の主要輸出品の一つであった生糸産業は大いに栄えました。 旧生糸検査所(現横浜第二合同庁舎)の建物は、そんな横浜の歴史を伝えています。 ただ、2010年(平成22年)10月の報道では、神奈川県内の全養蚕農家が同年秋の出荷で繭の生産を中止する見通しになったことが明らかになっています。 2011年度から実施される養蚕農家への繭代の助成金廃止が大きな原因なのかと考えられます。 旧生糸検査所・・・キーケン キーケンは、明治28年に生糸検査所として制立し、 現在残されているこの建物は、 大正12年の関東大震災の復旧事業を手掛けた遠藤於莵によって設計され、 大正15年に建築されました。 横浜第二合同庁舎 現在は国の機関が入っている合同庁舎です。 生糸といえば農林水産省ですかね。 どうやら、 農政事務所なる組織が入っているようですが・・・。 頑張って下さいよ!日本の農業のために。 生糸検査所(キーケン)は、こんな造りだったようです。 この模型は、庁舎に入ったすぐ左側にあります。 現在は、真ん中に立派な建物が建っています。