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徳川家康の側室・西郷殿の母が葬られた寺~鎌倉:貞宗寺~

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貞宗寺 は、大奥で御年寄役を務めた貞宗院の菩提寺。 貞宗院は、 徳川家康 の側室で秀忠を産んだ 西郷局 (お愛の方)の母。 貞宗院の御霊屋 中の宝篋印塔が貞宗院の墓と伝えられています。 貞宗寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

本多俊正・本多正信・本多正重と三河一向一揆

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本多俊正は、松平家の重臣・酒井忠尚に仕えていた武将。 1563年(永禄6年)、酒井忠尚が松平家康( 徳川家康 )に対して謀反を起こして挙兵すると、俊正は忠尚に従っています。 そして、同年、 三河一向一揆 が起こります。 すると、俊正の次男・ 正信 と四男・正重は、仕えていた家康に反旗を翻して一揆方に加担。 酒井忠尚は一揆に与したともされていますが、忠尚と一揆が連絡をとっていた形跡はないのだといいます。 いずれにしても、本多親子が同時期に家康に反旗を翻したことは事実。 翌年1月、一揆が鎮圧されると、家康の寛大な取り計らいにより、正重は家康に帰参しますが、 正信 は出奔。 俊正は、一揆鎮圧後も忠尚とともに上野城に拠って9月まで戦い、戦後、家康に帰参して鷹匠となったのだといいます。 ただ、その後は不明。 出奔した正信は・・・ のちに家康に帰参し、江戸幕府では幕政を主導するまで出世。 正重は、数々の戦で功をあげ大名となっています。 参考までに、俊正の長男・青野重貞は家康方に付いて一揆鎮圧のため働きました。 酒井忠尚は、戦後、行方不明。 岡崎城 三河一向一揆 では、一向宗の門徒だった家康の家臣の多くが敵対。 岡崎城 に攻め上ってきた一揆軍を破ったことで家康優位になったのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

小牧山城~織田信長が美濃攻略の拠点とした城~

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1562年(永禄5年)、 清州城 で 徳川家康 と同盟( 清州同盟 )を結び、東側の脅威をなくした織田信長は、翌年、 小牧山城 を築きます。 そして、小牧山城を拠点として、1567年(永禄10年)に美濃を攻略。 岐阜城 に入って天下布武の政策を掲げることに。 小牧山城 は4年で廃城となりますが、四方を石垣で囲んだ本格的な城であったと考えられています。 小牧山 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

戦略上の要衝だった美濃国の墨俣

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長良川 美濃国の墨俣は戦略上の要衝だった地。 墨俣城 墨俣城 は、織田信長の美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられる城。 源平墨俣川古戦場 源平墨俣川古戦場 は、1181年(治承5年)に 源行家 と 平重衡 が戦った地。 この戦いで 源頼朝 の異母弟の義円が討死しています。 1221年(承久3年)には、 後鳥羽上皇 が打倒 北条義時 の挙兵をした 承久の乱 の合戦場にもなりました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

だいぶ開花しました!鎌倉:長谷寺の河津桜2023/02/16

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間もなく各地で見ごろとなる河津桜。 長谷寺でも開花が進んでいます。 葉も出てしまっているとことが気になるところですが・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉原産の桜~ (京都で人気を集めた鎌倉桜) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉市の木~ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆