投稿

1月 21, 2024の投稿を表示しています

大晦日の宮中行事「鬼やらい」に由来する節分の豆まき

イメージ
節分の夜の豆まきは、大晦日に宮中で行われていた悪鬼を追い払う「追儺」(ついな)という行事に由来しているそうです。 「おにやらい」「なやらい」とも呼ばれました。 大晦日の夜、 紫宸殿 に天皇が出御すると、桃の弓に葦の矢を持った多くの臣下が集まり、陰陽師が悪鬼を払う祭文を唱えると・・・ 四つ目の恐ろしい形相の仮面を着けた方相氏(ほうそうし)が、二十人の侲子(しんし)を率いて、盾を矛で打ち鳴らしながら目に見えない悪鬼を払って歩き、臣下たちは桃の弓で葦の矢を放って悪鬼を追い払ったのだといいます。 しかし、後になって方相氏が悪鬼とみなされるようになり追い払われる役になってしまったのだとか。 (都年中行事画帖) 平安京の守護神として創建された 吉田神社 や、平安宮(大内裏)の朝堂院が復元された 平安神宮 の節分祭では、方相氏が登場するようです。 『源氏物語』 紅葉賀の巻では、 紫の上 の童女の犬君が「鬼やらい」の真似事をして紫の上の人形遊びの道具を壊してしまった場面が描かれています。 幻の巻では、 紫の上 を失い出家の覚悟をした 光源氏 が、「何で大きな音をたてようか」といいながら走り回っている 匂宮 の姿をみながら、 六条院 での最後の正月を迎えるための準備をしている様子が描かれています。 紫式部の邸跡といわれる 蘆山寺 の節分会は京都最古といわれ、3匹の鬼による「鬼踊り」で知られているようです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

五節の舞姫が舞い、打毬が行われた豊楽殿~光る君へ~

イメージ
豊楽殿 は、平安京の 大内裏 (平安宮)にあった豊楽院の正殿。 ここでは、元日節会・新嘗祭・大嘗祭などの国家的行事が行われました。 紫式部 の 『源氏物語』 にも出てくる白馬節会や 五節の舞姫 が舞った豊明節会も 豊楽殿 で行われています。 端午の節会には 打毬 が行われましたが、822年(弘仁13年)正月には、 鴻臚館 に滞在していた渤海国使が 豊楽殿 で 打毬 を行ったという記録が残っています。 豊楽殿模型 (京都市平安京創生館) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

五節の舞姫:近江守源良清の娘は唐崎神社で祓~源氏物語~

イメージ
新嘗祭の豊明節会で舞を披露した 五節の舞姫 たちは、そのまま宮中にとどまって宮仕えすることとなっていましたが、いったん皆退出させることにします。 近江守・源良清の娘は唐崎、摂津守・藤原惟光の娘は浪速で祓をさせたいと願って自宅へ帰えります。 按察使大納言は別の形式で宮仕えさせることを奏上しました。 左衛門督は、娘でない者を娘として五節に出したということで問題になりますが、それでも女官に採用されることになっています。 唐崎神社 琵琶湖西岸の 唐崎神社 は祓の霊場として知られた社。 紫式部 の 『源氏物語』 ~少女の巻~では、 五節の舞姫 を務めた近江守源良清の娘が祓を行っています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

五節の舞姫~光源氏と筑紫の五節の贈答歌:『源氏物語』少女の巻~

イメージ
新嘗祭の豊明節会の日、宮中に参って 五節の舞姫 たちを観た 光源氏 は、昔、目を留めた少女(おとめ・筑紫の五節)のことを思い出します。 そして、久しぶりに筑紫の五節へ便りを送ります。 「をとめごも 神さびぬらし 天つ袖 ふるき世の友よ はひ経ぬれば」 (光源氏:あの頃のうら若き舞姫も年をとられたことでしょう。古い友の私も年を重ねてしまったのですから) 「かけていへば 今日のこととぞ 思ほゆる 日かげの霜の 袖にとけしも」 (筑紫の五節:五節の舞についていわれますと、あなたに打ち解けたことが今日のように思われます) 五節の舞姫 だった筑紫の五節は、父の大宰府赴任に同行して筑紫へ下向。 筑紫から帰京する際、途中で 須磨 に蟄居していた 光源氏 と和歌を贈答しています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

五節の舞姫~夕霧が惟光の娘に贈った歌:『源氏物語』少女の巻~

イメージ
大学寮 の学生だった 光源氏 の息子・ 夕霧 は、 雲井の雁 との失恋で何も興味が持てないでいましたが、五節の夜は 二条院 に行っていました。 そのとき、 五節の舞姫 に選ばれて 二条院 に到着した藤原惟光の娘を屏風のうしろからのぞき見します。 雲井の雁 と同じ年ごろで、少し背が高くて、あざやかな美しさでした。 そして、 「あめにます とよをかひめの 宮人も わが心ざす しめを忘るな」 (天上にいらっしゃる豊受姫にお仕えする宮人よ、私があなたを自分のものと思っていることを忘れないでください) と声を掛けます。 しかし、舞姫(惟光の娘)は誰の声なのか見当もつかず、気味悪く思っている・・・ そこへ世話役の女房たちがやってきたので、 夕霧 は残念に思いながらその部屋を立ち去ります。 その後、舞姫は典侍(女官)として宮中に参内することが決まります。 ある日、 夕霧 は舞姫の弟に舞姫が御所に入る日を訪ね、今年のうちに参内することを知ります。 そして、その弟に舞姫に逢わせてくれるよう頼みますが、「姉は男兄弟も近づけない」と断られてしまいます。 仕方がないので手紙を書いて弟に渡します。 「日かげにも しるかりけめや をとめごが あまの羽袖に かけし心は」 (日の光が当たるところでおわかりになったことでしょう。天の羽衣の袖を振って舞ったあなたに惹かれている私の心を) 舞姫は嬉しく思いましたが、手紙を読んでいる所へ父の惟光がやってきてしまいます。 惟光は姉弟を叱りつけますが、 夕霧 から頼まれた手紙であることを知ると喜びます。 それは、女官にするよりは夕霧の妻とした方が良いから・・・ 明石入道 になる気でいたらしい。 明石入道 は 明石 に流れてきた光源氏に娘( 明石の君 )を引き合わせています。 明石の君 は中宮となる 明石の姫君 を生んでいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆