別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年8月30日金曜日

藤原道長 vs 興福寺~源頼親・蓮聖・定澄と道長~




興福寺は藤原氏の氏寺ですが・・・

藤原氏の全盛の時代の信仰の第一は天台宗や真言宗で興福寺ではなかったようです。

藤原道長の時代には荘園を巡って対立関係にあったのだといいます。

道長は、源頼親を大和国司とし、興福寺の荘園拡大を抑制しようとしていたようです。


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源頼親は、1006年(寛弘3年)の春の除目で大和守となりますが・・・

任国に着任する以前から、頼親に仕える当麻為頼と興福寺の蓮聖との間では、競田(どちらのものか争っている田)があったようです。

『御堂関白記』によると、6月、為頼が興福寺領池辺園預(荘官)を殴打(殺害?)。

これに対し、興福寺の蓮聖が三千人の僧を率いて為頼邸を襲ったのだといいます。

この事件に対し、道長は蓮聖に下手人を差し出すよう命じ、蓮聖の公請(朝廷から法会や講義に召されること)を停止しています。

興福寺側に非があると判断したようです。

参考までに、藤原実資の『小右記』には、為頼が何らかの事件を起こし、興福寺が事情を問いただそうとすると、為頼は自邸の財物を搬出した上で焼き払い、興福寺の乱行を訴えたのだとか・・・


7月になると興福寺別当の定澄が道長のもとを訪れ、「正しい裁定がなされなければ、興福寺の者が大挙して都に押し寄せ、土御門殿や源頼親邸を襲う」と脅します。

そして、興福寺大衆数千人が入京する事態になりますが、道長は官吏に興福寺大衆を追い立てさせて退去させたようです。

興福寺大衆が退去した後、道長は、興福寺側の要求のうち、事件の実情を調査する実検使の派遣には応じましたが、頼親と為頼の解職には応じず、蓮聖に対する公請停止取消にも応じませんでした。

こうして、この事件は道長の全面的勝利に終わったのだとか。


参考までに、定澄は翌年の道長の御嶽詣に奉仕しています。

📎藤原道長の御嶽詣~彰子の男児出産を願っての金峯山参詣か?~


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平安時代、寺社は仏や神の権威と武力を背景に、集団で訴えを起こしました(強訴)。

比叡山の僧兵は日吉大社の神輿を奉じて強訴に及びましたが(神輿動座)、興福寺春日大社の神体の神木を担ぎ出していたそうです(神木動座)。


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源頼親は源満仲の次男。

大和源氏の祖。

河内源氏の祖・源頼信の同母兄。

道長に重用され、道長が権力を手中にする長徳の変でも武力として登用されています。

頼親は生涯で三度の大和国司を務めました。

そのため、大和国で強勢を誇っていた春日大社興福寺東大寺などの勢力を争うこととなりました。

1049年(永承4年)、興福寺の大衆に攻められると、次男の頼房が応戦して多数の僧を殺害してしまいます。

この事件で頼親は土佐国へ配流され、その後の消息は不明。


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頼親の郎党・当麻為頼は、頼親が叔父の藤原保昌と大和国の利権を巡って対立した際に殺害されています。

その後、保昌に仕えていた清原致信が殺害されていますが、指図したのは頼親でした。

致信は為頼殺害に関与した人物とされています。

道長は『御堂関白記』に頼親を「殺人上手」と記しているようです。

参考までに、藤原保昌は道長四天王の一人で和泉式部と結婚した武者。

祇園祭山鉾巡行の保昌山は保昌が御神体。

清原致信は清原元輔の子で清少納言の同母兄らしい。


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興福寺五重塔


興福寺は、藤原氏の祖・藤原鎌足の夫人・鏡王女が山背国山階に創建した山階寺が始まり。

鎌足の子・藤原不比等が平城京遷都の際に藤原氏の氏寺として大和国に移し、興福寺としました。

藤原氏の氏寺でありながら、摂関全盛の時代には、中・下級貴族の子弟が別当を務める寺だった興福寺ですが・・・

道長の曾孫にあたる後三条天皇が即位すると、荘園整理令が発せられ、摂関家はその力を大きく削がれます。

興福寺も多くの荘園を失いました。

そこで、関白・藤原師実は興福寺を摂関家と一体化するため、子の覚信を入寺させます。

のちに覚信は別当となりますが、以後、別当は摂関家から出ることになり、興福寺は事実上の国司として振舞うようになります。

そして、春日大社の実権を手にし、大和国のほとんどの荘園を領して、大和国を支配するようになったようです。

盛時には百以上の塔頭があったそうです。

また、多くの僧兵を抱え、鎌倉時代に全国に守護を設置した源頼朝も大和国には守護を置くことができませんでした。









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