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11月 28, 2010の投稿を表示しています

常盤と打越の散策

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「常盤」には北条政村の別邸があって「常盤御所」と呼ばれていました。 「常盤」という地名はそこからきたものと考えられています。 「打越」は、笛田の小字で「笛田から山一つ越えた向こう」という意味があるそうです。有名な「常盤山文庫」が創設されたのが打越です。 梶原交番前の交差点 藤沢駅からバスで梶原口まで来ました。 この交差点は桔梗山への入口で、この周辺に「梶原口」というバス停があります。 よくわかりませんが・・・同じ名のバス停でも、 行き先によって設置されている場所が違うようです。 ここは、鎌倉の三大緑地の一つ「常盤山緑地」の入口の一つです。 本日は、ここからすぐのバス停で降車しましたので、 とりあえずご紹介させていただきます。 ここは上らず、わずかに写っている右の道を長谷方面へ進みます。 ここは変電所の裏。 この辺りには、御嶽神社があって石段のそばに五輪塔などが並んでいたそうです。 石段の上にやぐらがあって、その中に御嶽神社が祀られていたそうですが、 今は 八雲神社 に合祀されたそうです。 なんらかの面影があるかと歩いてみましたが・・・ 何も見つかりませんでした。 ちなみに、御嶽神社が祀られていたやぐらは、 源義経の母 「常盤御前」 の墓という噂もあったようです。 常盤口の交差点 この辺りには、「常盤御前の硯水」という井戸があったようです。 今もあるのかもしれません。 また 「常盤御前」 が出てきましたが 「常盤」という地名と「常盤御前」が「ごちゃまぜ」になってしまったようです。 しかしながら、湧き出る水は名水で、 常盤亭の北条政村がよく使用したということです。 なんと、明治の頃には茶屋もあって、旅人の喉を潤していたといいます。 そして、この水を鎌倉の街で売っていた者もいたということです。 八雲神社前の交差点 ここを左に行けば八雲神社ですが・・・ 先に打越を廻って、再び戻りたいと思います。 ここは大仏トンネルのちょっと手前です。 コンビニの手前にある「三貴園」という看板がわかるでしょうか。 これが、菅原通済という実業家が営んだ高級料亭です。 看板の案内のとおりに進みます・・・ そして、十字路を越えて奥の道を進みます。 料亭「三貴園」の跡 ここには、「常盤山文庫」もありました。 福島県から堂坂観

御所五郎丸の墓

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横浜の西区御所山町には、御所五郎丸の墓と伝わる五輪塔があります。 御所五郎丸は、「曾我兄弟の仇討ち」のときに活躍した武将です。 「曾我兄弟の仇討ち」というのは、1193年(建久4年)に 源頼朝 が催した富士裾野の巻狩りの際に起こった事件です。 十郎祐成と五郎時致の兄弟が、父の敵工藤祐経を見事討ち取りました。 ランドマークタワーが見える下町の路地にあります。 京浜急行「戸部駅」から徒歩5分程度でしょうか。 これが御所五郎丸の墓です。 御所山という地名は、この墓があるから付けられたといわれています。 御所五郎丸は、曾我兄弟の仇討ちの際に、 源頼朝の寝所に近づいた曾我五郎時致を、 女装をした五郎丸が捕らえたとして知られています。 女装するとは「卑怯である」として罰せられたとも伝えられています。 一方で、曾我兄弟を工藤祐経の寝所に案内したのが、 御所五郎丸であるともいわれています。 御所五郎丸墓: https://www.yoritomo-japan.com/gosho-goroumaru.htm 御所五郎丸屋敷跡: https://www.yoritomo-japan.com/page139gosho-goroumaru.htm 相模の武将「曾我兄弟」: https://www.yoritomo-japan.com/soga.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

弘明寺観音~横浜市南区~

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横浜市南区にある 弘明寺 は、板東三十三ヶ所の十四番札所に数えられている観音巡礼の聖地です。 弘明寺かんのん通り 横浜市営地下鉄(ブルーライン)の弘明寺駅から弘明寺仁王門まで続く商店街です。 横浜国立大学の附属中学校 「弘明寺かんのん通り」の県道21号線を挟んだ反対側です。 古い校舎は横浜市の文化財に指定されているそうです。 県道21号線(横浜鎌倉線)は、鎌倉街道と呼ばれています。 「下の道」と呼ばれる古道は、弘明寺門前を通過していたものかも・・・? 仁王門 「弘明寺かんのん通り」を抜けると仁王門です。 身代地蔵 石段の途中にあるお地蔵さま。 京浜急行が会社設立100周年を記念して、人々の病気平癒を祈願するために奉納した地蔵像です。 多くの方々が参拝し祈願しています。 京浜急行の「弘明寺駅」は 弘明寺 の裏にあります。 本 堂 弘明寺 は、721年(養老5年)、インドの善無畏(ぜんむい)三蔵法師が開創したと伝わる高野山真言宗の寺です。 横浜市最古の寺院といわれています。 その後、行基によって観音像が安置されました。 本尊十一面観音は「鉈彫」という技法の像で、国の重要文化財に指定されています。 七つ石 善無畏(ぜんむい)三蔵法師が陀羅尼(仏教における呪文)を書写し、結界を立てたと伝えられる霊石。  梵鐘 江戸神田の西村和泉守藤原政平の作。 川崎大師の梵鐘も同人の作。 1798年(寛政10年)、阿闍梨秀光が願主となって再々造したもの。 横浜市の有形文化財。 大聖歓喜天 全国行脚の途中の弘法大師が、不思議な力を感じて双身歓喜天を彫って安置したと伝えられています。  木造黒漆花瓶 「亜」という文字の形をした花瓶。 ヒノキ材をろくろで挽いて成型した四つの部分を組み立てたもの。 横浜市指定有形文化財。 北条政子の伝説~化粧の井戸~ 尼将軍化粧の井戸 井土ヶ谷の 乗蓮寺 にある井戸です。 源頼朝一行が 弘明寺 に参詣した際、北条政子が化粧するための井戸がなかったので、この井戸が使用されたとのことです。 乗蓮寺には政子自身が彫ったという尼将軍坐像