投稿

7月 9, 2023の投稿を表示しています

大徳寺の塔頭総見院~織田信長の菩提寺~

イメージ
総見院 大徳寺 の塔頭 総見院 は、1583年(天正11年)に羽柴秀吉が 本能寺の変 で横死した織田信長の追善のために建立。 名称は、信長の戒名「総見院殿贈大相国一品泰巌大居士」からのもの。 本尊は織田信長坐像(重文)。 秋の特別公開 2023年10月7日~11月30日 大徳寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

織田信忠が宿泊していた妙覚寺~本能寺の変~

イメージ
妙覚寺 は、1582年(天正10年)6月2日に起こった 本能寺の変 の際に、織田信長の嫡男信忠が宿泊していた寺。 信忠は、 本能寺 に駆け付けようとしますが、信長の死を知って 二条殿 に籠城して自刃したのだと伝えられています。 妙覚寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

織田信長と織田信忠の墓~阿弥陀寺~

イメージ
1582年(天正10年)6月2日、明智光秀が織田信長が滞在していた 本能寺 を襲撃( 本能寺の変 )。 阿弥陀寺 の玉誉清玉は、 本能寺 に駆け付けますが、信長は既に自刃したあと。 そのため、その場で火葬して遺骨を持ち帰ったのだといいます。 また、 二条殿 で自刃した信長の嫡男・信忠の遺骨や、本能寺・二条殿で討死した者の死骸も阿弥陀寺に葬ったのだと伝えられています。 阿弥陀寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「命婦の御許」~『枕草子』に書かれた一条天皇の猫

イメージ
一条天皇 には、「命婦の御許」(みょうぶのおとど)と名づけられた飼い猫がいたらしい。 「命婦」は五位以上の女官のこと。 「御許」は高貴な女性の敬称。 清少納言の『枕草子』に 「宮中にお仕えする猫は、五位に除せられて、命婦のおとどという。 とてもかわいいいので、一条天皇も大切になさっている」 と書いています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

評定衆に書かせた起請文~北条泰時の御成敗式目~

イメージ
1232年(貞永元年)7月10日、 北条泰時 は、 評定衆 11名に対し、政治の行われ方に私心がないことの起請の文書を作成させています。 評定衆11名は以下の通り。 中原師員 三浦義村 二階堂行村 中条家長 三善康俊 二階堂行盛 後藤基綱 三善倫重 三善康連 佐藤業時 斎藤長定 そして・・・ この文書に 北条泰時 と 北条時房 が署名。 『箱根神社大系 下巻』によると、起請の内容は・・・ 為政者としてこの世の道理を説いたもの。 親しい間柄か否かで裁決すべきではなく、仲間であっても権力を恐れずに無欲であるべき。 これに違犯したならば・・・ 梵天帝釈 四大天王 日本全国六十余州の天地の神、とりわけ 伊豆山権現 ・ 箱根権現 三島大明神 八幡大菩薩 天満大自在天神 それらの眷属 の神罰・冥罰を受けるべきであるというもの。 仏法を崇め、仏神に帰依すべきことは、 御成敗式目 の第1条にも記されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆