別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2026年11月8日日曜日

武衛殿~鶴岡八幡宮の白旗神社~




鶴岡八幡宮の末社白旗神社は「武衛殿」とも呼ばれます。

掲げられている額は、幕末の島津藩の実質上の最高権力者・島津久光の筆。


なぜ「武衛殿」?

それは祭神の源頼朝が「右兵衛権佐」だったから。

「武衛」とは、天皇やその家族の近侍・護衛のための官庁「兵衛府」の唐名で、兵衛府には「左兵衛府」と「右兵衛府」がありました。

頼朝は1159年(平治元年)12月の平治の乱で一時「従五位下・右兵衛権佐」(うひょうえごんのすけ)に任じられます。

平清盛に敗れたことにより、わずか15日で解官されてしまいますが、1190年(建久元年)に「権大納言・右近衛大将」に任じられるまでは「前右兵衛権佐」であったことから御家人からは「佐殿」(すけどの)と呼ばれていました。


なぜ、島津久光が「武衛殿」の額を書いたのか?

それは、古くから島津家の初代当主の島津忠久が頼朝の御落胤という系図が伝えられてきたから。

島津家は頼朝の子孫を強調し、江戸時代には二十五代当主の重豪が頼朝の墓塔(源頼朝墓)を建てています。



白旗神社(武衛殿)


源頼朝墓

鶴岡八幡宮


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鶴岡八幡宮の紅葉

鎌倉の紅葉


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2026年11月7日土曜日

豊臣秀吉の小田原征伐~小田原北条氏の滅亡~




小田原北条氏(後北条氏)の初代は北条早雲。

早雲が初めて持った城は駿河国の興国寺城(1487年(長享元年))。

1491年(延徳3年)には、伊豆国に進出して韮山城を居城とします。

韮山城を拠点に相模国へ進出した早雲は、1495年(明応4)、小田原城を奪取し、相模国を平定。

その後、北条氏は武蔵、下総、駿河にまで領土を拡げ、三代氏康の時代になると、小田原城は難攻不落の城と呼ばれるほどの城となります。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐時には、城下町を囲む長さ9㎞の総構となっていましたが・・・。

7月5日、北条氏政・氏直父子が降伏。

7月11日には秀吉の命により北条氏政が切腹、当主の北条氏直は助命され紀伊国の高野山に追放されました(氏直は翌年病死しています。)。

この間、鎌倉の玉縄城、伊豆の韮山城が開城しています。


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秀吉が小田原城攻略のために築いたのが石垣山城。

築くのに約80日間を費やした城です。

よく「石垣山一夜城」と呼ばれますが、それは・・・

「小田原城からは見えないように築城され、完成してから周囲の木を伐採したので、一夜にして巨大な城が出現したように見えたから」

なのだそうです。

突然出現した石垣山城を見た小田原城の将兵は戦意を喪失したのだと言われています。


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小田原征伐


小田原城

石垣山一夜城


興国寺城

韮山城

玉縄城


一夜城まつり

戦国武将サミット

小田原北條五代祭り


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2026年11月4日水曜日

八幡太郎義家の鳴弦~悪鬼邪霊を追い払う霊力!~




石清水八幡宮で元服したことから「八幡太郎」と名乗り、八幡大神の強い加護を受けていると信じられていた源義家。

寛治年間(1087~1094)の頃、義家は紫宸殿で「鳴弦」を行って病の堀河天皇を平癒させたのだとか。

「鳴弦」とは、弓の弦を鳴らし、その音で悪鬼邪霊を追い払う儀礼。

石清水八幡宮では義家の「紫宸殿での鳴絃」の故事にちなんだ「八幡御神弓」が授与されています。



紫宸殿の鳴弦


石清水八幡宮の御弓矢

石清水八幡宮


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鶴岡八幡宮の破魔矢

源頼義奉納の朱漆弓・黒漆矢


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2026年11月3日火曜日

源頼義奉納の朱漆弓・黒漆矢・平胡録と破魔矢~鶴岡八幡宮~




『新編相模国風土記稿』によると・・・

鶴岡八幡宮の古神宝「朱漆弓(一張)」・「黒漆矢(三十隻)」・「沃懸地杏葉螺鈿平胡録(二腰)」は、源頼義が源氏の氏神・石清水八幡宮から譲り受けたもので、1063年(康平6年)に鎌倉の由比郷に由比若宮を創建した際に奉納したものなのだといいます。




そして、鶴岡八幡宮の正月の伝統的な縁起物「破魔矢」は、源頼義が由比若宮へ奉納した「黒漆矢」が起源とされています。



鶴岡八幡宮の破魔矢

源頼義奉納の朱漆弓・黒漆矢


元八幡・由比若宮

石清水八幡宮

鶴岡八幡宮


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鶴岡八幡宮の紅葉

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2026年11月2日月曜日

建久二年の鎌倉大火と鶴岡八幡宮の御鎮座記念祭(御神楽)




1191年(建久2年)3月4日、小町大路で火事が発生。

強風にあおられた火は、北条義時、大内惟義、比企朝宗、佐々木盛綱、一品房昌寛、仁田忠常、工藤行光、佐貫広綱など御家人10人の屋敷を焼き、鶴岡八幡宮の五重塔に燃え移ります。

この火事により鶴岡八幡宮は悉く灰燼に帰してしまいました。

3月6日、焼失した鶴岡八幡宮を見た源頼朝は涙を流したといいますが、8日には再建工事に着手します。

そして、若宮再建とともに上宮(本宮)を創建し、11月21日に遷宮が行われました(改めて石清水八幡宮の祭神を勧請しています。)。

上宮の建設は、火事による被害を防ぐためだったと考えられています。



毎年12月16日に行われている「御鎮座記念祭」(御神楽)は、遷宮の際に行われた儀式を再現したものです。

頼朝は、遷宮の日に「宮人曲」を唄わせるため、京都から雅楽家の多好方を招いていました。

好方が「宮人曲」を唄うと、神が感応するほどのめでたい出来事の前ぶれだとして、頼朝も感激したのだといいます。


御鎮座記念祭

建久二年の鎌倉大火


鶴岡八幡宮


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