別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2025年11月7日金曜日

馬頭観音~無病息災・動物救済・厄除け・旅行安全~2026年は午年!




馬頭観音は、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)のそれぞれの衆生を救うとされる六観音の一つ。

六観音の中で唯一忿怒相をとり、頭上に馬の頭をいただき、第三の目、三つの顔、複数の腕を持っています。

畜生道の衆生を救うとされる観音菩薩。

上の画像は京都の千本釈迦堂の馬頭観音。

鎌倉時代に慶派仏師・肥後定慶の主導で造立されたもの。

馬頭観音の忿怒の表情は、怒りそのものを表すものではなく、煩悩や邪悪を打ち砕き、人々を正しい道へと導くための相。


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今日では、無病息災・動物救済・厄除け・旅行安全のご利益があるとされている馬頭観音ですが、馬の守護神としても信仰されてきました。

日本の各地には馬頭観音の石仏が多く置かれていますが、馬とともに生活していた人々が馬の無病息災や冥福を祈ったものといわれています。


(横浜市港北区鳥山)

横浜市港北区鳥山は、源頼朝から名馬池月(生食)を賜った佐々木高綱の所領でした。

高綱は池月の霊を慰めるため駒形明神として祀ったのだと伝えられています。



(静岡市駿河区曲金)

静岡市は、梶原景時終焉の地。

駿河区曲金の馬頭観音堂は、合戦で斃れた景時の愛馬・磨墨と郎党の愛馬の供養のために建てられたのだといいます。



名馬 池月

名馬 磨墨


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鞍馬寺の白馬伝説~2026年は午年~




源義経ゆかりの鞍馬寺は、770年(宝亀元年)に奈良の唐招提寺を開いた鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)が、白馬に導かれて鞍馬山に毘沙門天を祀ったことに始まるのだと伝えられています。

そして、796年(延暦15年)、東寺建立の長官だった藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)が、白馬に導かれて千手観音を祀ったのだといわれています。

伊勢人が貴船神社の神のお告げによって毘沙門天と千手観音を祀るために建立した寺が鞍馬寺なのだとか。




貴船神社絵馬発祥の社




鞍馬寺の白馬伝説


鞍馬寺

貴船神社


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2025年11月5日水曜日

伝酒井家旧蔵 駿府御城内絵図~新発見の絵図が新年に公開される!~




「伝酒井家旧蔵 駿府御城内絵図」は、徳川家康が築いた駿府城の城郭絵図。

2025年(令和7年)に新発見されたもの。

静岡市歴史博物館で2026年1月7日(水)~2月15日(日)に一般公開される予定。



駿府城


徳川家康



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大和郡山城


大納言塚


豊臣秀長


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2025年10月30日木曜日

2026年は午年!白旗神社の絵馬と源義経の愛馬大夫黒




藤沢の白旗神社に午年の大絵馬が設置されました。

牛若丸(源義経)が乗馬で疾走しています。

愛馬の大夫黒かもしれません。

たくさんの馬が描かれていますが、全部で9頭(馬九行く=うまくいく)。

青に白の斑点の馬は兄頼朝の愛馬池月

畠山重忠三日月なども描かれているのかも。



白旗神社源義経を祀る社。

毘沙門堂の毘沙門天は、義経が幼少期を過ごした鞍馬寺から勧請されたものと伝えられています。




大夫黒(たいふくろ)は、源義経後白河法皇より賜り、一ノ谷の戦い鵯越屋島の戦いで乗馬したという名馬。

『吾妻鏡』によると、屋島の戦いで郎党佐藤継信が討死すると、義経は継信を埋葬してくれた僧に大夫黒を与えたのだといいます。


大夫黒の墓

大夫黒は、死後、継信の墓のそばに葬られたのだと伝えられています。





白旗神社


源義経








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2025年10月27日月曜日

実慶の阿弥陀三尊~北条時政が造立させた仏像~




函南町の「かんなみ仏の里美術館」に所蔵されている阿弥陀三尊像(阿弥陀如来及両脇侍像)は、慶派仏師・実慶の作。

北条時政石橋山の戦いで討死した長男・宗時の慰霊のために造立させたものと考えられています。




阿弥陀如来の首枘(くびほぞ)の裏には「大仏師實慶」の墨書があるらしい。


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『吾妻鏡』によると・・・

1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いでの敗北後、時政と次男の義時は箱根の湯坂道を経て甲斐国へ向かおうとし、宗時は土肥から桑原(函南町)を経て平井郷(函南町)へ向かおうとしたようですが・・・

宗時は平井郷を目の前にして伊東祐親軍に討たれてしまったようです。




函南町には北条宗時の墓と伝えれる塔が残されています。

『吾妻鏡』によると、1202年(建仁2年)6月1日、北条時政は夢のお告げによって伊豆国へ下向し、宗時の墳墓堂で追善供養を行っているようです。

阿弥陀三尊像もこの頃に造立されたのかもしれません(「かんなみ仏の里美術館」の説明では建久年間(1190~1198年)の末頃とされています。)。

時政といえば、願成就院の造仏を運慶に依頼したことで知られていますが・・・

このころの運慶は東大寺大仏殿の造仏に携わり、1203年(建仁3年)には南大門に快慶らとともに造立した金剛力士像が安置されています。

実慶は、運慶が1183年(寿永2年)に完成させた「運慶願経」に名を連ねている慶派の有力仏師。

運慶や快慶が南都復興の造仏に携わっている間、実慶は東国での仏像需要に応じた活動をしていたようです。

1210年(承元4年)には、修禅寺大日如来像を造立しています。




願成就院の運慶仏

願成就院


実慶の大日如来と納められていた3束の頭髪


修禅寺


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運慶


運慶 祈りの空間


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2025年10月26日日曜日

実慶の大日如来御開帳~北条政子が寄進した修禅寺の本尊~




修禅寺の本尊大日如来が開帳されます。

2025年11月1日(土)~11月30日(日)

場所は、修禅寺宝物館。

9:00~16:00


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修禅寺の本尊 大日如来坐像は、修禅寺で暗殺された源頼家の七回忌(1210年(承元4年))に母の北条政子が寄進したもの。

制作者は、慶派仏師の実慶。

実慶は、運慶が1183年(寿永2年)に完成させた「運慶願経」に名を連ねている慶派の有力仏師。

東国で鎌倉幕府関連の造仏をしていたと推測され、北条時政石橋山の戦いで討死した子宗時の慰霊のために造立させた阿弥陀三尊像も実慶の作と伝えられています。




実慶の大日如来と納められていた3束の頭髪


修禅寺








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運慶


運慶 祈りの空間


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