投稿

2月 6, 2011の投稿を表示しています

残りの雪~神苑ぼたん庭園~

イメージ
鶴岡八幡宮 の源氏池畔の 神苑ぼたん庭園 です。 昨日の様子では・・・、 今日は、最高の「雪ぼたん」が見られる予定でしたが・・・ 源氏池 に浮かぶ島にはうっすらと雪が残っていました。 この場所には、かなり残っていましたが、「ぼたん」がありません。 なんとか、雪のぼたん庭園になったでしょうか? 神苑ぼたん庭園 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/jinen-botan.htm 鶴岡八幡宮 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page041hatiman.htm 残りの雪~鶴岡八幡宮~ http://okadosblog.blogspot.com/2011/02/blog-post_1462.html 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

残りの雪~鶴岡八幡宮~

イメージ
昨日の雪は、かなり積もるかと思われましたが、 今朝にはほとんどありませんでした。 神苑ぼたん庭園 やはり、もう少し雪が欲しいですね。 http://okadosblog.blogspot.com/2011/02/blog-post_9419.html 鶴岡八幡宮 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page041hatiman.htm 神苑ぼたん庭園 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/jinen-botan.htm 残りの雪~神苑ぼたん庭園~ http://okadosblog.blogspot.com/2011/02/blog-post_9419.html 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

最古の築港遺跡~和賀江嶋~

イメージ
和賀江嶋 は、 材木座海岸 の東の隅にある飯島岬から石積みされた港(防波堤)です。 鎌倉時代の材木座は、物資の集散地でした。 1223年(貞応2年)に鎌倉を訪れた『海道記』の著者はその光景を、 「数百艘の舟、とも綱をくさりて大津の浦に似たり。 千万宇の宅、軒をならべて大淀のわたりにことならず」 と述べています。 しかし、材木座の海岸は遠浅だったことから多くの海難事故が発生していました。 そのため、1232年(貞永元年)に築かれたのが 和賀江嶋 です。 『吾妻鏡』によれば、勧進僧・往阿弥陀仏が港の建設を申請し、三代執権 北条泰時 がそれを許可し、そして支援したとされています。 工事は、7月15日から始まって、8月9日に終了したといいます。 沖に向かって積まれた玉石は、相模川・酒匂川や三浦半島・伊豆の海岸などから運ばれたものと考えられています。 満潮時にはほとんど海面下に沈んでしまいますが、潮が引いたときには、桟橋状に積まれた玉石が姿を現します。 宋の貿易船なども着岸し、物流の拠点として大きな役割を果たしました。 材木座海岸 では、現在でも当時の陶磁器片などが打ち上げられています。そして、現在でも数艘の漁船がつながれています。 昭和43年には国の指定史跡となっています。 飯島岬の海岸沿いの路傍には 鎌倉十井 の一つ 「六角ノ井」 があります。 源為朝が大島から放った矢がこの井戸に落ちたという伝説が残された井戸で、「矢の根ノ井」とも呼ばれています。 その先が、然阿良忠が 光明寺 を開く前にとどまったという 正覚寺 です。 飯島白髭社 和賀江嶋 https://www.yoritomo-japan.com//page135wakaejima.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

雪降る光則寺

イメージ
今日の雪は積もりそうです。 明日は、白い雪の中に黄色いロウバイが・・・。 光則寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136kosokuji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

雪の鎌倉大仏

イメージ
雪降る中の大仏さまです。 どういう状況でも美しいですねぇ~。 高徳院(鎌倉大仏) http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136kotokuin.htm 鎌倉の大仏さま http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_23.html 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

山崎切通と山崎に残された自然を散策

イメージ
小袋谷の交差点 山ノ内道の小袋谷交差点。 動物 病院の右側に細い路地があります。 かつては、山崎の切通を越えて 江の島 へと向かう参詣道でした。 神明神社 しばらく歩くと神明神社です。台下町の鎮守です。 https://www.yoritomo-japan.com/page138sinmeisha.htm 神明神社の庚申塔には、「左江之島道」と刻まれています。 ~山崎の切通~ 神明神社の左側の道を進むと、右側に切通の面影が残されています。 この切通の左側の山は、鎌倉三大緑地の一つ 台峯 です。 昔は狭く曲がりくねった切通だったそうですが、 現在は片側の崖のみが残され、その上にはマンションが建設されています。 ここを過ぎると山崎小学校です。 昭和40年代の山崎の切通 ~残された自然~ 山崎小学校の反対側には、 北大路魯山人の邸宅跡 があって、 さらにその奥は 台峯緑地 の倉久保の谷戸が広がっています。 獅子石 鎌倉中央公園 の山崎の入口にある巨石です。 土地の人たちは、この石を獅子石(ししいし)と呼んでいたそうです。 鎌倉中央公園 は、 台峯 緑地と一体化した公園として整備されました。 かつての獅子石の周りには田園風景が広がっていました。 鎌倉中央公園 では、なつかしい里山の風景を見ることができます。 昔は、谷戸のすべてがこういった景色だったのでしょうね。 鎌倉の各所にあったと思われる炭焼きの窯です。 鎌倉で武家の歴史を学ぶのも結構ですが、自然の歴史を学ぶことも大切です。 特に、「里山」というのは、人間と他のあらゆる動植物で作り上げた大切な自然です。 一度壊してしまうと元に戻すのに大変なんです。