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10月 6, 2013の投稿を表示しています

「特別展東大寺」・・・神奈川県立金沢文庫

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神奈川県立金沢文庫 で「特別展 東大寺」が始まりました。 平重衡に焼かれた 東大寺 の復興の歴史を学ぶことができます。 重源 ・後白河法皇・ 源頼朝 。 東大寺 の復興には、当時の実力者が関わりました。 そして、復興の目途としての仕上げは、 運慶 らによる 金剛力士像 の造立です。 「特別展 東大寺」は12月1日まで。 ★特別展 「東大寺-鎌倉再建と華厳興隆-」 ・・・金沢文庫 ★南都焼討と東大寺の再興~重源と源頼朝~ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 東大寺

建長寺と心平寺

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『吾妻鏡』によれば、1253年(建長5年)11月25日、 建長寺 の落慶供養が行われました。 1251年(建長3年)に事始めが行われたということですが、実際は1249年(建長元年)頃から準備が進められていたといいます。 建長寺 建長寺 が建てられた地は処刑地だったといわれ、処刑された者の鎮魂のために 心平寺 が建てられていました。 心平寺 が創建されたのは1249年(建長元年)。 同年、 建長寺 の建立が計画されていました。 のちに 建長寺 の開山に迎えられる 蘭渓道隆 も、この年、 常楽寺 からこの地に移っているといいます。 心平寺 を建立し、それから 建長寺 を建立したのには何か深い意味があったのでしょう。 建長寺 の本尊が地蔵菩薩であるのは、 心平寺 の本尊が地蔵菩薩であったからだといわれています。 心平寺地蔵堂 (横浜三溪園:天授院) 心平寺 の本尊は、 建長寺仏殿 の脇壇に安置されている地蔵菩薩坐像だと伝えられています。 この像の胎内には、無実の罪で処刑されそうになった済田左衛門の身代わりとなった 地蔵菩薩の小像 が納められていました。 そして、 建長寺 が創建されると 小像 は仏殿本尊の胎内に移されたのだといいます。 ※横浜の 三溪園 にある天授院は心平寺跡にあった堂を移築したもの。

鎌倉:円応寺のキンモクセイ2013/10/06

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円応寺 の仏殿前の キンモクセイ が見事に咲いています。 円応寺のキンモクセイ