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10月 1, 2023の投稿を表示しています

摂関家の別邸に建てられた法勝寺

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法勝寺 は、摂関家の別邸・白河殿に建てられた寺院。 白河殿は、 藤原道長 ・その子 頼通 も所有し、 一条天皇 の中宮・ 藤原彰子 が出家後の住まいとしました。 その後、白河殿を譲り受けた白河天皇は 法勝寺 を創建。 1204年(元久元年)、 源実朝 が坊門信清の息女・ 坊門姫 を正室とする際、 後鳥羽上皇 は坊門姫の出発の様子を法勝寺西大路鳥居の桟敷から見物していました。 法勝寺 には、高さ約80メートルといわれる八角九重塔が聳えていました。 1208年(承元2年)に焼失してしまいますが、 栄西 が大勧進となって再建されました。 後醍醐天皇 の皇子・ 護良親王 は、梶井門跡(現在の 三千院 )に入室し、 比叡山延暦寺 の貫主(天台座主)となって大塔宮と敬称されますが、 大塔とは「法勝寺の九重塔のこと」という説があります。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

光源氏と紫の上~みやこめっせの源氏物語石像~

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右大臣の娘・朧月夜との密会が露見してしまい、須磨へ退くこととなった光源氏。 都に残す紫の上と和歌を交わします。 「身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡のかけは離れじ」 ( 光源氏 ) 「わかれても影だにとまるものならば鏡を見ても慰めてまし」 ( 紫の上 ) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

京都:法雲寺~藤原兼家の二条第跡~

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法雲寺 は、 藤原兼家 が別邸の二条第に建てた法興院の跡地に建立された寺院。 法興院境内には兼家の子・ 道隆 が建立した積善寺もあったのだという。 清少納言 の『枕草子』によると、 994年(正暦3年)2月21日、 道隆 は積善寺で、 一条天皇 の生母・ 藤原詮子 や中宮・ 藤原定子 の隣席のもとで一切経供養を行っている。 境内に祀られている菊野大明神は、良縁は結び、悪縁は切るという縁切り祈願の神。 火災除け・厄除け・災難除けの豊川大明神も。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

在原業平~光源氏のモデルの一人~

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在原業平は平安前期の歌人。 父は平城天皇の第一皇子・阿保親王。 母は桓武天皇の皇女・伊都内親王。 六歌仙の一人で歌物語の『伊勢物語』は業平らしき人物が主人公となっている。 美男子で、兄の行平とともに 紫式部 の 『源氏物語』 の主人公・ 光源氏 のモデルともいわれる。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

平野神社~花山天皇・清少納言ゆかりの社~

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平野神社 は、 花山天皇 が桜を手植えして以来、桜の名所として知られるようになった社。 清少納言 は『枕草子』に素晴らしい神社の一つとして紹介。 平野神社 の空家に「御輿がお泊りになる」と聞いて、とても素晴らしいと記している。 また、斎垣に蔦などがとても多くかかっていて、紅葉が色々と多くあって 「ちはやぶる 神のいがきに 這ふ葛も 秋にはあへず うつろひにけり」 という紀貫之の歌が思い出され、長い間、車を止めていたらしい。 平野神社 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

清少納言社~車折神社にある清少納言を祀る社~

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車折神社 にある清少納言社。 清少納言 は天武天皇の第六皇子・舎人親王の後胤。 車折神社は同族の清原頼業を祀る社。 車折神社 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆