豊臣秀吉の命で徳川家康が修繕した鶴岡八幡宮
1590年(天正18年)、 小田原城 を開城させた豊臣秀吉は奥州へと向かう途中で 鶴岡八幡宮 を参詣。 翌年、「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」(修理の設計図)を作成させ、 徳川家康 に修理を命じています。 鶴岡文庫 に展示されている模型は、秀吉の「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」をもとに作られています。 鶴岡八幡宮修営目論見絵図 豊臣秀吉が描かせた絵図です。 1591年(天正19年)5月14日、増田長盛・山中長俊・片桐直倫が作成しました。 この絵図に描かれている配置が、 北条氏綱 の天文再興時の 鶴岡八幡宮 の配置だったと考えられています。 源頼朝 によって設けられた 供僧二十五坊 は、室町時代には七坊にまで減少していましたが、徳川家康が 鶴岡八幡宮 の修理をはじめると、五院が復興されて十二院となっています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆