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1月 8, 2023の投稿を表示しています

豊臣秀吉の命で徳川家康が修繕した鶴岡八幡宮

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1590年(天正18年)、 小田原城 を開城させた豊臣秀吉は奥州へと向かう途中で 鶴岡八幡宮 を参詣。 翌年、「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」(修理の設計図)を作成させ、 徳川家康 に修理を命じています。 鶴岡文庫 に展示されている模型は、秀吉の「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」をもとに作られています。 鶴岡八幡宮修営目論見絵図 豊臣秀吉が描かせた絵図です。 1591年(天正19年)5月14日、増田長盛・山中長俊・片桐直倫が作成しました。 この絵図に描かれている配置が、 北条氏綱 の天文再興時の 鶴岡八幡宮 の配置だったと考えられています。 源頼朝 によって設けられた 供僧二十五坊 は、室町時代には七坊にまで減少していましたが、徳川家康が 鶴岡八幡宮 の修理をはじめると、五院が復興されて十二院となっています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

清見寺:家康ゆかりの寺~梶原景時の血天井:静岡市~

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清見寺 は、清見関(関所)の鎮護のために建てられた仏堂が始まり。 今川氏の人質だった 徳川家康 が学んだ太原雪斎が中興した寺。 大玄関は 家康 の娘・振姫の寄進と伝えられ、天井板は清見関の古材で血痕が付いたもの。 血痕は、1200年(正治2年)正月20日、鎌倉を追放され上洛しようとした 梶原景時 と在地武士の合戦で付いたものといわれています( 梶原景時の変 )。 梵鐘は、1590年(天正18年)、豊臣秀吉が行った 小田原 征伐で伊豆の 韮山城 攻撃の際に陣鐘として使用されたのだとか。 清見寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

臨済寺:徳川家康が学んだ寺~静岡市~

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臨済寺 は、今川氏の菩提所で臨済宗 妙心寺 派の寺院。 少年期に今川氏の人質として駿府で過ごした 徳川家康 は、臨済寺の太原雪斎のもとで学んだのだといいます。 勅東海最初禅林 臨済寺 は、 清見寺 ・ 宝泰寺 とともに「駿河三刹」と称されました。 山門には家康が元服式を行った 静岡浅間神社 にあった仁王像が置かれています。 臨済寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

徳川家康と親交のあった暁誉源栄が開いた宗仲寺~座間市~

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宗仲寺 は、 徳川家康 の家臣・内藤清成が父の菩提を弔うために創建した寺。 開山は鎌倉・ 大長寺 四世の暁誉源栄。 源栄は、三河国の松平家・徳川家の菩提所・ 大樹寺 で修行しているときに家康の信頼を得た僧。 境内には、鷹狩の際に訪れていたという家康お手植えというイチョウが聳えます。 家康が 久能山 から 日光山 に改葬される際、棺を運ぶ一行は宗仲寺で休息したのだとか。 宗仲寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆