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6月 29, 2014の投稿を表示しています

石上さまの例祭~御供流し~・・・鎌倉:御霊神社

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石上神社 は、坂ノ下 御霊神社 の境内社。 海から引き上げられた岩が御神体です。海神を鎮めるために石神として祀られました。 石上神社 御神体 (石上さま) その昔、 沖に大きな岩石がありました。 満潮となると海中に姿を没してしまうので、 多くの船がこの岩に衝突し難破しました。 ある日、 沖の岩石に光が放たれます。 そして、難破する船も増えました。 漁民は「海神の怒りだ」として恐れたといいます。 海神の怒りを解こうと考えた漁民は、 岩石を割って引き上げることにしました。 漁民総出で引き上げられた岩は、 氏神である御霊神社に安置されたと伝えられています。 ~海の日の例祭~ 石上神社 の 例祭 は、毎年、海の日に行われています。 神輿が 坂ノ下海岸 に到着すると神事が執り行われ、三隻の漁船に神輿、囃子太鼓などが分乗して沖合まで渡御します。 若者たちがその後を立ち泳ぎで続き、赤飯を海神に供えることから 「御供流し」 と呼ばれています。 昔は、 石上神社 の 例祭 の日が「海開きの日」とされてきたようです。 石上神社の神輿 石上神社 の神輿は大小2基。かつては大きい方の神輿が沖まで運ばれていましたが、 現在は 小さい神輿が海上渡御を行います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 御霊神社

三門梶原施餓鬼会・・・鎌倉:建長寺

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建長寺 の 三門梶原施餓鬼会 は、1200年(正治2年)1月20日、駿河国清見関で討死した 梶原景時 の霊を慰めるために行われているもの。 7月15日の午前8:00から。 三門梶原施餓鬼会 伝説によると・・・ ある年の 建長寺 の施餓鬼会が行われた日、そんな 梶原景時 の亡霊が現れます。 亡霊は施餓鬼会が終わっていたので残念そうに引き上げていったそうです。 しかし、 蘭渓道隆 が呼び戻し、再び施餓鬼会を行ってあげると、感謝して消えていったのだといいます。 梶原景時像 (東京大田区・ 万福寺 ) 梶原景時 は、1180年(治承4年)8月に 源頼朝 が 挙兵 したときは、平氏方の 大庭景親 に従っていました。 『吾妻鏡』によれば、8月24日、 石橋山の戦い に敗れ、山中に逃れた 源頼朝 の居場所を知っていながら、それを見逃したのだといいます。 その後、頼朝に重用されますが、頼朝が亡くなると間もなく鎌倉を追放され、上洛する途中の駿河国で最期を遂げました( 梶原景時の変 )。 梶原景時一族の墓 (深沢小学校内) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 建長寺

アジサイの剪定が終わった鎌倉:成就院2014/07/02

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成就院 の アジサイ は、昨日(7月1日)に剪定が終わりました。 剪定後の成就院参道 アジサイの花はなくなってしまいましたが、夏らしい景色に変わりました。 本堂前に飾られたアジサイ。 本堂前には、挿し木も並んでいました。 ・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉のアジサイ 江ノ電でアジサイ巡り

三嶋大社

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https://www.yoritomo-japan.com/misima-taisha.htm (三嶋大社(鎌倉手帳)) たたり石 安達藤九郎盛長警固の跡 厳島神社 神池 総門 矢田部盛治 源頼朝・北条政子の腰掛石 神馬舎 神門 金木犀 (天然記念物) 舞殿 祓所神社 本殿 伊豆魂神社 芸能殿 神鹿苑 源頼朝旗挙げの碑 若山牧水歌碑 三島神社の扁額 松尾芭蕉句碑 右内神社 左内神社 ・・・・・・・・・・・・ 三嶋大社 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ