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10月 8, 2023の投稿を表示しています

源氏物語ゆかりの遍照寺と広沢池

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広沢池 広沢池 は、寛朝僧正が 遍照寺 を創建した際に造営した庭池。 広沢池では・・・ 村上天皇の第七皇子・具平親王の妾妻・大顔が物の怪に襲われて急死しています。 お忍びで 遍照寺 を訪れていたのだとか。 紫式部 の 『源氏物語』 で 光源氏 に恋をした 夕顔 は、大顔がモデルといわれています。 遍照寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

藤原公任・赤染衛門が歌に詠んだ名古曽の滝~大覚寺:大沢池~

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名古曽の滝跡 大覚寺 の日本最古の人工の庭池・ 大沢池 には、 名古曽の滝 がありました。 藤原道長 に仕え、一条朝の四納言の一人に数えられた 藤原公任 は、枯れてしまった滝を見て 「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」 と詠んでいます。 源倫子 や 藤原彰子 に仕えた女流歌人の 赤染衛門 は、 「あせにける いまだにかかり 滝つ瀬の はやく来てこそ 見るべかりけれ」 と詠みました。 大沢池 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

檀林寺~赤染衛門の歌~

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檀林寺 は、 京都五山 第一位の 天龍寺 の地にあった寺院。 往時は塔頭十二坊を数えた大寺院でしたが廃絶。 一条天皇 の中宮・ 藤原彰子 に仕えた女流歌人・ 赤染衛門 は、 檀林寺 の鐘の音が地面の下から聞こえてくるという話を聞いて、 「ありしにも あらずなりゆく 鐘の音 つき果てむこそ 哀なるべき」 と詠んでいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

一条天皇の皇后・藤原定子の墓~鳥戸野陵~

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1000年(長保2年)12月16日に崩御した 一条天皇 の皇后・ 藤原定子 が葬られたのは 鳥戸野陵 。 本人の希望により土葬されています。 定子 はこの歌を遺していました。 「煙とも雲ともならぬ身なれども草葉の露をそれとながめよ」 (煙とも雲ともならない我が身ですが、草の葉の露を我が身と思って下さい) 定子 の死から11年後の1011年(寛弘8年)6月22日、 一条天皇 が崩御します。 一条天皇 は死の3日前に 「露の身の仮の宿りに君を置きて家を出でぬることぞ悲しき」 (露のようにはかない身のかりそめに宿にあなたを残して出家してしまう事は悲しい) と詠んだのだそうです。 この歌の君とは、中宮の 藤原彰子 のことと考えられるが、 定子 のこととする説もあります。 定子の陵墓からは 京都タワー が見えます。 鳥戸野陵 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

紫式部の泉

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紫式部の泉は、京阪「石山寺」の駅前に『源氏物語絵巻』の3場面をモチーフにつくられた噴水。 柏木三 女三宮と柏木との不義の子・薫の誕生五十日の祝で、我が子ならぬ我が子を抱く光源氏。 宿木三 琵琶を弾く匂宮とそれを聞く中宮。 東屋一 物語を読み聞かせる右近と絵に見入る浮舟。 石山寺 石山寺 は 紫式部 が 『源氏物語』 を書き始めたという寺。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆