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12月 6, 2015の投稿を表示しています

赤穂浪士と曽我兄弟の菩提所・・・小田原:城前寺

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孝行阿弥陀 仇討ちで知られる曽我兄弟ゆかりの 城前寺 。 十四世住持は、同じく仇討ちで知られる赤穂浪士・吉田忠左衛門兼亮の遺児・到誉達玄和尚。 本堂前の阿弥陀像は和尚が亡き父の三十三回忌に造像したもので、孝行阿弥陀と呼ばれているそうです。 高輪泉岳寺 赤穂浪士は 高輪泉岳寺 に葬られています。

赤穂浪士と鎌倉:延命寺

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延命寺 1702年(元禄15年)12月14日、吉良邸に討ち入り、見事に吉良上野介の首級をあげた赤穂四十七士の中に岡嶋八十右衛門常樹がいます。 岡島の長子は出家して、のちに鎌倉の 延命寺 の住職を勤めたのだといいます。 四十七士の墓所 (高輪泉岳寺)

赤穂浪士の菩提所~高輪泉岳寺~

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泉岳寺 泉岳寺 は赤穂浪士が葬られた寺。 大石内蔵助 1701年(元禄14年)3月14日、赤穂藩主浅野内匠頭長矩は吉良上野介義央に対して刃傷におよびました。 浅野長矩は即日切腹 赤穂浅野家は断絶。 吉良義央にはお咎めなし。 大石良雄(内蔵助)以下47人の赤穂浪士は、翌年12月14日、吉良邸に討ち入り、見事に主君の仇を討ちます。 浅野内匠頭長矩の墓 浅野長矩正室瑤泉院の墓 吉良義央の首洗井戸 泉岳寺の主君の墓前に吉良の首を供えた赤穂浪士は、その後、それぞれの場所にお預けとなり切腹を申し渡せれます。 ただ47名のうちで寺坂吉右衛門だけは泉岳寺に引き上げる途中で姿を消してしまっているようです。 その理由は不明ですが・・・ 大石良雄の墓 大石主税の墓 赤穂浪士の墓 赤穂浪士の墓所入口の門は、浅野家の鉄砲洲上屋敷の裏門が移築されたもの。 泉岳寺では毎年12月14日に赤穂義士祭が行われています。 泉岳寺 https://www.yoritomo-japan.com/sengakuji.htm

三鈷の松・・・鎌倉:成就院

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妻に救われた仁田忠常。 頼朝には大事にされたようですが、今後のドラマではどうなるのでしょうね。 成就院に置かれていた三鈷の松。 その昔、弘法大師は、中国からの帰国の際、密教法具の「三鈷杵」を東の空に投げたそうです。 するとそれが高野山の松の木にひかかっていたといいます。 以来、その松は三鈷の松と呼ばれているそうです。 通常、松の葉は2本ですが、三鈷の松の葉は3本。 成就院 成就院 の本尊は 縁結び不動明王 。 男女の縁に限らず、仕事の縁などのあらゆる縁に御利益があるとのことです。 山門前から見える海 ・・・・・・・・・・・

鎌倉:長谷寺の紅葉2015/12/12

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歳の市 12月18日は納めの観音。 参道では 歳の市 が催され、熊手や達磨などの露店が並びます。 紅葉もまだ観ることができるのではないでしょうか・・・。 鎌倉紅葉情報 https://www.yoritomo-japan.com/hana-kesiki/koyo/koyo-kamakura.htm

イチョウの落葉・・・鎌倉:御霊神社2015/12/12

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御霊神社 の社殿前は イチョウの黄 に染まっていました。 御霊神社 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136gorei.htm 鎌倉紅葉情報 https://www.yoritomo-japan.com/hana-kesiki/koyo/koyo-kamakura.htm

京都:慈照寺(銀閣寺)

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慈照寺観音殿 https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/shokokuji/ginkakuji-kannonden.htm 銀閣寺 の正式名称は「慈照寺」。 京都五山 第二位の 相国寺 の境外塔頭。 観音殿は「銀閣」と呼ばれます。 鹿苑寺の金閣に対する呼び名のようです。 慈照寺は、室町幕府八代将軍足利義政の「東山殿」をその始まりとしています。 総門 銀閣寺垣 庭園 銀沙灘 向月台 方丈 東求堂 (足利義政の持仏堂) (義政お茶用の湧水) 慈照寺 https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/shokokuji/ginkakuji.htm 鎌倉との繋がりを求めて・・・ 奈良・京都