神仏分離と鶴岡八幡宮寺
かつて、 鶴岡八幡宮 は神仏混淆の宗教施設でした。 しかし、1868年(明治元年)、明治政府は神仏分離令を出します。 それに伴って全国で廃仏毀釈の運動が起こりました。 鶴岡八幡宮 でも1870年(明治3年)に薬師堂、護摩堂、大塔、経蔵、仁王門が破壊されます。 仁王門がある頃の参道 大塔 下拝殿と経蔵(左奥) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~主な仏像の行方~ 仁王像を安置する壽福寺仏殿 仁王門に安置されていた仁王像は、 壽福寺 に移され、現在も 壽福寺 の本堂に安置されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 弘法大師像 二十五坊 の一つ 等覚院 の本尊だったといいます。 松源寺に移された後、 壽福寺 に移されました。 現在は 青蓮寺 に移され本尊として安置されています( 鎖大師 )。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 如意輪観音 法華堂(現 白旗神社 (西御門))に安置されていました。 現在は西御門の 来迎寺 (西御門)に安置されています。 宅間浄宏作と伝わる地蔵菩薩像も 来迎寺 に移されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 伝源頼朝像 (東京国立博物館蔵) 旧 白旗神社 の御神体だったといわれています。 東京国立博物館 に所蔵されている像がそれあろうといわれています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 地蔵菩薩立像 扇ヶ谷にあった智岸寺の像で、智岸寺廃絶後、 正覚院 に安置されていました。 現在は 瑞泉寺 の地蔵堂に安置されています( どこも苦地蔵 )。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 壽福寺の薬師如来 もと神宮寺の本尊だったといわれる仏像です。 壽福寺 に移されますが、現在は 鎌倉国宝館 に寄託されています ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 白旗神社の手水舎 白旗神社 の手水舎の水盤には蓮弁が彫刻されています。 鶴岡八幡宮 が神仏習合の宗教施設だった頃の名残です。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 浅草寺二天門 江戸期までの 浅草寺 の 二天門 は、豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)・櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)の二神が安置され「矢大神門」(やだいじんもん)と呼ばれていそうです。