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10月 31, 2010の投稿を表示しています

銭洗弁財天宇賀福神社の周辺を散策

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佐助稲荷神社 と 銭洗弁財天宇賀福神社 の二つの神社の道標を起点・終点にして一週してみたいと思います。  佐助稲荷神社 と 銭洗弁財天宇賀福神社 の道標です。 道標をもっとわかりやすく標示するとこうなります。 つまり、 佐助稲荷神社 は左に進み、 銭洗弁財天宇賀福神社 は真っ直ぐ進めということです。 道標の位置が逆なんです。 しかし、佐助稲荷道に入ってしまっても、 佐助稲荷神社 の下社の少し手前に路地があります。 この路地を入ると 銭洗弁財天宇賀福神社 へ行くことができます。 以前は、角に道標があったような気がしましたが・・・ 現在はありませんでした。 道沿いに進んでいくと、こんな標識もあります。 この石段を上ると 銭洗弁財天宇賀福神社 。 銭洗弁財天宇賀福神社 の入口です。 よくご覧になる入口とは違うかもしれませんが・・・ こちらも入口です。 参拝を済ませたら・・・ 入り口の左に登り道があります。 ここに入ると、 銭洗弁財天宇賀福神社 の谷を上から見ることが出来ます。 しかし、危ない道ですので気を付けないといけません。 その山道を抜けると、 源氏山 から、ご存知の 銭洗弁財天宇賀福神社 へと下る急坂に出ます。 坂には多くの「やぐら」が存在しています。 見逃さない方がお得です。 これが皆さんご存知の入口でしょうか。 坂を下りたところに道標がありました。 さらに進むと最初にご紹介した道標です。 この道標までは、 鎌倉駅からの観光案内標識に従って歩けば到着しますが、 昔は、 下馬四つ角 付近からの 佐助稲荷神社参道 があったようですので、 参考までにご紹介いたします。 稲荷みち~佐助稲荷神社参道:大町小路~ http://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_2830.html 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

稲荷みち~佐助稲荷の参道:大町小路~

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「大町 大 路」はよく知られていますが、「大町 小 路」はあまり知られていません。 昔は、 下馬 四ツ角から長谷方面に入ると、すぐに「斜め左に入る分かれ道」があったそうです。 おそらく、現在の 江ノ電 の踏切の少し手前かと思われます。 大正時代くらいまで 佐助稲荷神社 の赤い鳥居が建っていたそうです。 おそらく、この辺りから斜めに入る道があったのかと・・・ そして、御成通りの黒沼紙店の交差点へ通じていたものと思われます。 近くには 江ノ電 の 大町停留所 がありました。 御成通りの黒沼紙店の交差点 御成中学校へと向かう黒沼紙店の前の道が「大町小路」と呼ばれていたようです。 そして、この道は 佐助稲荷神社 の参道で、「稲荷みち」とも呼ばれていたということです。 御成中学校入口 横に走っているのは 今小路 です。 右は 壽福寺 方面、左は間もなくで 六地蔵 。 鎌倉市福祉センター 笹野邸 横浜正金銀行頭取であった伊東氏が住宅として建築したもの。 鎌倉市の景観重要建築物等に指定されています。 鎌倉大谷記念美術館 ホテルニューオオタニの会長だった故大谷米一氏の邸宅でした。 現在は、横山大観などの名品を展示する美術館となっています。 佐助一丁目交差点 横に走るのは市役所通りです。 佐介文庫跡碑 佐助一丁目交差点を左に行けば 佐介文庫跡碑 。 くずきりの「みのわ」 佐助稲荷神社の道標 ここを左に折れると 佐助稲荷神社 です。 まっすぐ進むと 銭洗弁財天宇賀福神社 。 佐助稲荷道 佐助稲荷神社 源頼朝が夢のお告げを受けて創建した神社です。 参道に建ち並ぶ鳥居 佐助稲荷神社 https://www.yoritomo-japan.com/page137sasukeinari.htm

鎌倉:今小路(勝ノ橋~六地蔵)

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今小路 は、 壽福寺 の門前を 若宮大路 と平行して南下する路です。 『新編鎌倉志』には、 鎌倉十橋 の 勝ノ橋 から 巽荒神社 までの道路と書かれています。 今小路 の「今」という意味にも諸説あるようですが、現在では 六地蔵 に至るまでの道を「今小路」と呼んでいるようです。 勝ノ橋の橋標 勝ノ橋は 壽福寺 門前の扇川に架けられていたと考えられていますが、現在は何もなく、橋標があるのみとなっています。 鎌倉十橋 の一つに数えられていました。 壽福寺 1200年創建の寺。 我が国 臨済宗 開祖の栄西の開山。 鎌倉五山 第三位。 八坂大神 (扇ヶ谷の鎮守) 刃稲荷 鎌倉時代の刀匠正宗(五郎入道正宗)の屋敷に祀られていた 稲荷社 。 巽神社 坂上田村麻呂が勧請したのがはじまりという古い神社です。 巽神社 前のはちみつ屋さん 正宗工芸 五郎入道正宗の技術を引き継いだ伝統工芸です。 高野邸 鎌倉市の 景観重要建築物等 に指定されている建物です。 古我邸 三菱銀行重役の荘清次郎の別荘として建てられた洋館。 諏訪神社参道と彫られた石柱 鎌倉市役所の通りにある石柱です。 現在の御成小学校が建つ辺りは、かつては諏訪氏の屋敷がありました。 その屋敷内にあった 諏訪神社 は、現在、鎌倉商工会議所の横に移されています。 諏訪神社 旧御用邸門 御成小学校の正門 です。 かつては明治天皇の皇女のために造られた御用邸でした。 御成小学校 の旧講堂です。 問注所跡碑 問注所 は鎌倉幕府の裁判機関です。 源頼朝の屋敷内( 大倉幕府 )にありましたが、言い争いや喧嘩が絶えなかったことから、二代将軍 源頼家 のときにこの場所に移転されたといわれています。 裁許橋 鎌倉十橋 の一つ。 問注所 での裁判の結果、無罪放免となった者が渡った橋であることからこの名があります。 一方で、西行に関する伝説も残されていて、別名を「西行橋」ともいいます。 六地蔵 この辺りは、刑場だったのだといいます。 問注所で有罪となった