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10月 4, 2020の投稿を表示しています

上戸日枝神社~川越市~

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日枝神社 は、江戸時代まで新日吉山王宮と呼ばれた社で、 河越重頼 (または父の能隆)が京都東山の新日吉山王社(現在の新日吉神宮)を分祀して創建した河越荘の総鎮守。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

北条時頼が建てたという最明寺~川越~

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伝説によると・・・ 1204年(元久元年)、伊豆の 修禅寺 で暗殺された鎌倉幕府二代将軍 源頼家 の次男千寿丸は、出家して瑶光房道円と名を改め、河越の地で暮らしていた。 年月は流れ・・・ 1256年(康元元年)11月、五代執権 北条時頼 は、病気のため執権職を辞して鎌倉の 最明寺 で出家。 以後、最明寺入道と呼ばれた時頼は、病気が治ると諸国行脚の旅に出た。 その旅で草庵に暮らす老僧(千寿丸)に出会った時頼は、その貧乏な暮らしを気の毒に思い、鎌倉へ帰った後、金壱百五拾貫を寄付して寺を建てたのだという。 その寺が 瑶光山最明寺 なのだとか。 最明寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

常楽寺~河越重頼・郷御前・源義経の供養塔がある寺:川越市~

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常楽寺 は、 河越館跡 の一角に建てられている時宗の寺院。 石灯籠 芝増上寺の徳川将軍の廟にあったもの。 鐘楼門 (仁王門) 本堂 一遍上人像 河越重頼 は 源頼朝 に仕えた武将。 京姫 (郷御前)は重頼の娘で 源義経 の正妻となりました。 しかし、頼朝と義経が対立すると、重頼は誅殺され、郷御前と義経は 奥州平泉 で最期を遂げています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

河越館跡~武蔵国で最大勢力だった河越氏の居館跡~

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河越館 は、代々「武蔵国留守所総検校職」を勤めた河越氏の居館。 河越重頼 の娘で 源義経 の正妻となった 郷御前 もここで誕生しました。 河越館跡 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

北条政子が建てた逢初地蔵堂~伊豆山神社~

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逢初地蔵堂 は、 北条政子 が娘の 大姫 の病気快復を願って建てたという堂。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

熱海の般若院

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般若院 は真言宗の古刹で 伊豆山神社 (伊豆山権現)の別当坊だった寺院。 本堂に安置されている「木造伊豆山権現立像」は、鎌倉時代の作で伊豆山神社にあったもの(国重文)。 大師堂 大師堂には、弘法大師(空海)が自ら刻んだと伝えられる「大師像」(国重文)が安置されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆