梶原景時の亡霊を供養する三門梶原施餓鬼会・・・建長寺
建長寺 では、7月15日、 梶原景時 を供養するための 「三門梶原施餓鬼会」 が行われます。 三門梶原施餓鬼会 梶原景時 は、1180年(治承4年)8月に 源頼朝 が 挙兵 したときは、平氏方の 大庭景親 に従っていました。 しかし、『吾妻鏡』によれば、8月24日、 石橋山の戦い に敗れ、山中に逃れた 源頼朝 の居場所を知っていながら、それを見逃したといいます。 しとどの窟 (湯河原町) 『吾妻鏡』によれば、 源頼朝 は山中の岩屋に 清水寺 から下された2寸銀の聖観音像を置いたといいます。 その岩屋がこの 「しとどの窟」 だと伝えられています。 梶原景時 が 頼朝 を見逃したのもこの場所だったのかもしれません。 翌年正月、 梶原景時 は 源頼朝 の御前に参り、御家人として名を連ねることとなります。 ただ、 頼朝 の信任が厚かった一方で、 上総介広常 の暗殺や讒言によって 源義経 を死に追いやったことなどもあり、他の御家人からは嫌われる存在だったようです。 1199年(建久10年)に 頼朝 が亡くなると、間もなく、御家人66名の弾劾状が提出され、翌年には鎌倉を追放され、駿河国で最期を遂げました( 梶原景時の変 )。 梶原景時像 東京大田区の 万福寺 に安置されている像です。 ある年の 建長寺 の施餓鬼会が行われた日、そんな 梶原景時 の亡霊が現れます。 亡霊は施餓鬼会が終わっていたので残念そうに引き上げていったそうです。 しかし、 蘭渓道隆 が呼び戻し、再び施餓鬼会を行ってあげると、感謝して消えていったのだといいます。 こうして 建長寺 では、今でも 景時 の霊を供養するための施餓鬼会を 三門 の下で行っています。 「三門梶原施餓鬼会」 は、7月15日の午前8:00から。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 建長寺 鎌倉手帳