鎌倉検定の過去問と情報! ※太字は鎌倉検定の問題文より。 写真をクリック・タップすると情報ページへ移動します。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 海蔵寺 は1394年(応永元年)の建立。 開山は 心昭空外(源翁禅師) 、開基は 上杉氏定 。 山号は扇谷山 。 底脱ノ井 門前の湧き水は 鎌倉十井 の一つ 底脱ノ井 。 仏殿 (薬師堂) 本尊の薬師如来 鎌倉十三仏詣の霊場の一つである海蔵寺の本尊の薬師如来像は、坐像の胴体部分に、もう一つの薬師の顔を納めた珍しい仏像で、別名啼薬師または児護薬師と呼ばれている。 胎内の像を拝観できるのは、61年に一度とされている。 庫裡 江戸時代建立の茅葺の庫裡は、鎌倉の寺院を代表する庫裡建築である。 カイドウ 鎌倉の 三大カイドウ には含まれないが、まだ若木だが枝振りがよく、勢いのある見事な花を枝いっぱいにつける。 十六ノ井 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~殺生石の伝説~ 宮中で、宴を開いていると急に屋敷が鳴動し、帝に侍っていた玉藻前が金色の光を発した。 鳥羽天皇は気絶し、以来重い病にかかってしまった。 玉藻前は実は狐の化身で、これがばれると逃げ去った。 追っ手が那須野で射殺すると、帝の病も快癒した。 ところが、那須野でこの霊が石と化し、その石に触れた生き物はみんな死んでしまう ので、殺生石として恐れられるようになった。 そこで、源翁禅師という禅師号をもつ 海蔵寺の開山 心昭空外 が経を読みながら鉄の杖で一撃を加えると、法力で殺生石は砕け散り、災いも止んだ。 この伝説がもとで、金槌を「げんのう」とも呼ぶようになったという。 真如堂の地蔵堂 (京都) 京都の 真如堂 にある石造地蔵尊は 鎌倉地蔵 と呼ばれ、源翁禅師が叩き割った殺生石の一つで刻まれたものといいます。 江戸時代に鎌倉から真如堂に移されたのだとか。 参考までに・・・ 那須野に逃げた狐は、 三浦義明 の矢で脇腹と首筋を貫かれ、 上総広常 の長刀でとどめを刺されたのだということです。 海蔵寺 https://www.yoritomo-japan.com/page137kaizoji.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆