クリスマスに届けられた源頼朝の観音像
源頼朝 の守り本尊は、三歳のときに京都 清水寺 から下された二寸銀の正(聖)観音像だったのだといいます。 清水寺 1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の 挙兵 をした 頼朝 。 伊豆の目代 山木兼隆 を討ち、相模へ向けて軍を進めますが、 石橋山の戦い では 大庭景親 に大敗して山中に逃げ込みます。 『吾妻鏡』によると・・・ その時、 頼朝 は、髷に観音像を入れていました。 しかし、 景親 ら平家方に捕まったときに「観音像を本尊としていたのでは源氏の棟梁らしくない」と非難されてしまうと考え、観音像を山中の 洞窟 に置いて逃げたそうです。 その後・・・ 安房 で再起して鎌倉入りを果たした頼朝。 洞窟に置いてきた観音像を 伊豆山権現 の專光坊良暹に探させました。 そして・・・ 12月25日、良暹の弟子僧が見つ出して 頼朝 に届けられたのだといいます。 伊豆山神社 (熱海市) 頼朝が観音像を置いたという岩窟 しとどの窟 (湯河原町) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1189年(文治5年)、 頼朝 は御所の裏山に 奥州征伐 の祈願所を設けます。 本尊は守り本尊の「二寸銀の正(聖)観音像」。 これが 頼朝 の持仏堂。 1199年(建久10年)正月13日に亡くなった頼朝は、持仏堂に葬られました。 その後、持仏堂は 法華堂 と呼ばれました。 源頼朝墓 現在、法華堂があったとされる場所には供養塔が建てられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ