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7月 22, 2012の投稿を表示しています

ぼんぼり祭~鶴岡八幡宮2012日程~

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2012年は閏年。 したがって、今年の 鶴岡八幡宮 の 「ぼんぼり祭」 は、8月6日から9日までの間、開催されます。この期間中、 鶴岡文庫 では回顧展も開催されています。 8月6日 午後3時  夏越祭 午後5時 俳句会 午後5時 吹奏楽の夕 午後7時 日本舞踊 午前10時~午後3時 献茶会 8月7日 午後5時  立秋祭 午後7時 日本舞踊 8月8日 午後3時 今様白拍子 午後7時 献笛 終日献華会 8月9日 午前10時  実朝祭 正午 短歌会 午後6時半 箏曲 午前10時~午後3時 献茶会 終日 献華会 ぼんぼり祭 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/bonborimaturi.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

タヌキが見つけた出湯とたんたんたぬきの担々やきそば~湯河原温泉~

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湯河原温泉は、狸が見つけた、湯。 JR湯河原駅に設置されている狸の像の案内板によると・・・ むかしむかし、狩人に追われて傷だらけになったタヌキが、ある渓谷に逃げ込んだそうな。 道に迷い、あたりをさまよっていると、まっ白な湯けむりに包まれた温泉に出くわした。 そこで、この湯にのんびりつかって傷口を洗うと、みるみるうちに治っていったそうな。 すっかり傷がいえたタヌキは、そりゃあもう喜んだ。 それ以来、美しい娘やたくましい若者に姿を変えては、体や心に傷のある人々をこの出湯に案内したんだとさ。 湯河原名物の担々やきそば。 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

しとどの窟から湯河原駅までのハイキング。

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JR湯河原駅から元箱根行のバスに乗り「しとどのいわや」で下車すると、そこは「かながわの景勝50選」に定められている「椿台」。 椿台からこの隧道を抜けると 「しとどの窟」 の入口。 「しとどの窟」 は、ここから400メートルほど下った所。 「しとどの窟」 への道 この辺りは大師信仰が盛んだった所。 しとどの窟 洞窟の頼朝 大田区萬福寺の梶原景時由緒絵馬 下山コース バスの本数が少ないので歩いて下山することにした。 しばらく歩くと目の前が開けた。 あったのが山の神 ここからさらに下れば湯河原の梅林。 水の流れが美しい。 山の景色も素晴らしい。 そして着いたのが 五郎神社 祭神は 鎌倉権五郎景政 。 名刀正宗 と風魔一族の伝説が残っているらしい。 湯河原駅前には 土肥実平 夫妻の像。 しとどの窟からJR湯河原駅までは、早足で1時間半くらいでした。やはり鎌倉の山とは一味違う厳しさがあります。 隣の真鶴町にも 「鵐窟」(しとどのいわや) があります。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ しとどの窟 https://www.yoritomo-japan.com/yoritomo-sitodonoiwaya.htm

夏休みの自由研究:源頼朝~伊豆・箱根・鎌倉~

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源氏再興の挙兵をした 源頼朝 と伊豆・箱根・鎌倉。 三嶋大社 (静岡県三島市) 源頼朝 は、源氏再興を祈るため、 三嶋大社 には百日間の日参を行ったといいます( 源頼朝 が挙兵したのは三嶋大社の例祭の日でした。)。 守山八幡宮 (静岡県伊豆の国市) 源頼朝 は、 守山八幡宮 に祈願して挙兵したといいます。 石橋山古戦場 (神奈川県小田原市) 1180年(治承4年)8月17日に挙兵した 源頼朝 は、伊豆国の目代山木兼隆を討つと相模国へと進軍します。 しかし、8月24日、 石橋山 で 大庭景親 らに敗れ、山中へ逃げ込みます。 しとどの窟 (神奈川県湯河原町) 石橋山 で敗れた 源頼朝 は、 土肥実平 に導かれ、土肥郷の椙山に逃れました。 「しとどの窟」 は、頼朝主従が隠れた場所と伝えられています。 箱根神社 (神奈川県箱根町) 土肥郷の椙山に逃れた 源頼朝 は、その後 箱根権現 の別当行実とその弟永実を頼ります。 しかし、行実と永実の弟智藏房良暹が兄たちを裏切り、 源頼朝 を襲撃しようとしていることが判明したため、再び土肥郷へと逃げます。 鵐窟 (しとどのいわや:神奈川県真鶴町) 土肥郷へ逃れた 源頼朝 は、 鵐窟 に隠れ潜んだといいます。 岩海岸 (源頼朝船出の浜:神奈川県真鶴町) 8月28日、 源頼朝 は真鶴岬から安房国へと船出し、翌日には安房国に到着しています。その船出した地が真鶴町の 岩海岸 だといわれています。 伊豆山神社 (静岡県熱海市) その頃、 源頼朝 の妻 北条政子 は 伊豆山権現 を頼っていました。平氏の手から逃れるため、別当の文陽房覚淵の計らいによって、 秋戸郷 (あきとのごう)に隠れていたといいます。 北条政子 は、 秋戸郷 で 源頼朝 が安房へ渡ったことを知らされています。 鶴岡八幡宮 (神奈川県鎌倉市) 安房国で体勢を立て直した 源頼朝 は、 石橋山 の敗戦からおよそ40日後の10月6日、大軍を率いて相模国へ入りました。翌7日には先祖 源頼義 が創建した由比郷の 由比若宮 を遙拝しています。 鎌倉に入った 源頼朝 が最初に行った事は、この 由比若宮 を小林郷へ遷座することでした。以後、鎌倉は 鶴岡八幡宮 を中心に発展して行きます。 10月12日には、 北条政子 も

源頼朝・北条政子と三嶋大社

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源頼朝 が崇敬した 三嶋大社 。 三嶋大社本殿 総欅造の本殿は国の重要文化財。 安達盛長警固の跡 源頼朝 が参詣した折、 安達盛長 が警護にあたった場所。 厳島神社 北条政子 が勧請した神社 腰掛石 源頼朝 と 北条政子 が休息したという石。 源頼朝挙兵の碑 1180年(治承4年)8月17日、 源頼朝 は源氏再興の挙兵をしました。 この日は 三嶋大社 の大祭でした。 源頼朝 は祭の雑踏を利用して、最初の標的山木館を襲撃しようと考えたのだといわれています。 宝物館の国宝「梅蒔絵手箱」は、 北条政子 が奉納したものと伝えられています。 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

鎌倉:妙本寺のノウゼンカズラ2012/07/27

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妙本寺 の ノウゼンカズラ 。 見頃は、まだ先のようです。 鎌倉のノウゼンカズラ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/nouzenkazura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html