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新造の舟を検分する藤原道長

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  1008年(寛弘5年)10月16日、 一条天皇 が 土御門邸 に行幸する当日、 藤原道長 は新造の二艘の竜頭鷁首(りょうとうげきす)の舟を池辺に漕ぎ寄せて検分。 この年の9月11日、 一条天皇 の中宮・ 藤原彰子 は 土御門邸 で敦成親王を出産。 10月16日、 土御門邸 に行幸した 一条天皇 は敦成親王と対面した。 紫きぶ七橋 は、 紫式部 が暮らした 越前武生 を流れる河濯川に架かる七つの橋。 高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

五十日の祝いで皇子に餅を含ませる藤原道長

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1008年(寛弘5年)11月1日、 藤原道長 の 土御門邸 では、 一条天皇 の第二皇子・敦成親王(のちの 後一条天皇 )の「五十日の祝い」が行われた。 禁色の着用を許された少輔の乳母が親王を抱き、御帳台の内で裳唐衣を着た北の方・ 源倫子 が抱きとった。 中宮・ 藤原彰子 は、葡萄染めの五重襲の袿に蘇芳の御小袿を着ている。 そして、 道長 が餅(もちい)を供した。 紫きぶ七橋 は、 紫式部 が暮らした 越前武生 を流れる河濯川に架かる七つの橋。 高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

五十日の祝いで藤原道長から歌を求められた紫式部

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1008年(寛弘5年)11月1日、 藤原道長 の 土御門邸 では、 一条天皇 の第二皇子・敦成親王(のちの 後一条天皇 )の「五十日の祝い」が行われた。 道長の酔態ぶりを見た 紫式部 と 宰相の君 は、夜の酒宴後、御帳の後ろに隠れたのだが、道長に見つかり「和歌を一首詠めば許そう」と言われる。 紫式部が詠んだ歌が 「いかにいかが 数へやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば」 道長の返歌は 「あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も 数へとりてむ」 紫きぶ七橋 は、 紫式部 が暮らした 越前武生 を流れる河濯川に架かる七つの橋。 高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

藤原彰子に漢学を講義する紫式部

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  幼い頃から漢学の知識があった 紫式部 。 一条天皇 からもその学識を評価され、 藤原彰子 に白居易の新楽府(漢詩)を講義している。 紫きぶ七橋 は、 紫式部 が暮らした 越前武生 を流れる河濯川に架かる七つの橋。 高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆