於大の方と千姫の墓がある伝通院
伝通院 は、1602年(慶長7年)、 伏見城 で死去した 徳川家康 の生母・ 於大の方 が葬られた寺。 家康 は 増上寺 に葬りたかったようですが、増上寺十二世の源誉存応(慈昌・観智国師)が 増上寺 を開いた酉誉聖聡の師である聖冏ゆかりの地に新たな寺を建立するよう進言したのだといいます。 聖冏(酉蓮社了誉(ゆうれんじゃりょうよ))は浄土宗第七祖。 浄土宗第八祖の酉誉聖聡は千葉氏胤の子で、母は 新田義貞 の娘と伝えられています。 そして、 家康 は、新田氏を祖とする源氏を称していました。 於大の方の墓 伝通院 には、三代将軍家光の次男亀松や二代将軍秀忠の娘で豊臣秀頼の正室となった 千姫 も葬られています。 千姫の墓 伝通院