清水寺に奉納された足利尊氏の願文
1336(建武3年)8月17日、 足利尊氏 は自筆の願文を 清水寺 に奉納しました。 楮紙(こうぞがみ)に全文11行の仮名交じりの文で書かれたもので重要文化財に指定されています。 その内容は・・・ 「 尊氏 に仏の加護を賜わり、後生の安穏を願うとともに、 今生の果報を弟 直義 に与えられんこと」 を祈願したもの。 発願のきっかけは分かりませんが、 後醍醐天皇 の「建武の新政」を離脱し、8月15日に光明天皇を擁立した直後のことでした。 この年の11月7日、尊氏は 「建武式目」 を制定して幕府を開きます。 のちに 尊氏 ・ 直義 兄弟は対立して 「観応の擾乱」 を引き起こし、 直義 は 浄妙寺 の西北にあった 延福寺 に幽閉され最期を遂げていますが、幕府草創期は、 尊氏 と 直義 の両頭政治で、二人は「両将軍」と呼ばれていました。 清水寺 https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/kiyomizudera/kiyomizudera.htm 清水寺 は、奈良時代創建の観音信仰が盛んだった寺。 源頼朝 も信仰し、1189年(文治5年)に建てた持仏堂(のちの 法華堂 )の本尊は、 頼朝 が3歳のときに 清水寺 から下された二寸銀の聖観音像だったといいます。 頼朝 とともに信仰していた 北条政子 は、鎌倉に 新清水寺 (廃寺)を創建しています。 ・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉との繋がりを求めて!