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スサノオが詠んだ最古の和歌~八雲神社の名の由来~

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「八雲立つ 出雲八重垣妻籠に 八重垣作る その八重垣を」 (やくもたつ いずもやえがきつまごみに やえがきつくる そのやえがきを) この歌が最古の和歌なのだといいます。 神話によると・・・ スサノオは、イザナギとイザナミの子。 皇室の祖とされるアマテラスの弟。 アマテラスが統治する高天原で乱行を重ねて追放され、出雲国に降り立ちます。 そこで、8つの頭と8本の尾を持つヤマタノオロチを退治し、生贄になるはずだったクシイナダヒメを救います。 三種の神器の一つ 草薙剣 は、スサノオが八岐大蛇を退治したときに得た神剣なのだとか。 救い出したクシイナダヒメを妻に迎えた時にスサノオが詠んだという歌が 「八雲立つ 出雲八重垣妻籠に 八重垣作る その八重垣を」。 スサノオは、ヤマタノオロチからクシイナダヒメを守るために八重垣を造って隠したのだそうです。 この歌には、雲が幾重にも湧く出雲の地で、クシイナダヒメと暮らすこととなったスサノオがその喜び表したもののようです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 八雲神社の社名はスサノオの最古の和歌に因むもの。 八雲神社 (鎌倉:大町) 鎌倉の大町にある 八雲神社 は、祇園信仰の神社で、「八雲さん」、「お天王さん」の愛称で親しまれている大町の鎮守。 室町時代には「佐竹天王」とも呼ばれていたようですが、天王とは祇園精舎の守護神・牛頭天王のこと。 祇園信仰の神社では、現在主祭神として祀られているスサノオが牛頭天王と同一視されて祀られていました。 しかし、明治の神仏分離によって、仏教の神である「牛頭天王」や仏教用語の「祇園」が除かれます。 八雲神社は、鎌倉祇園社と呼ばれていたようですが、神仏分離によって改称されました。 八雲神社 (鎌倉:山ノ内) 鎌倉の山ノ内にある 八雲神社 は、午頭天王社と呼ばれていた神社。 神仏分離によって改称されています。 ~総本社は京都の八坂神社~ 八坂神社 八坂神社 は、祇園精舎の守護神・牛頭天王を祭神としていたことから、「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていました。 祇園祭 京都の夏の風物詩・ 祇園祭 は八坂神社の祭礼。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

天王祭の山車人形~鎌倉:小動神社の祭礼~

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天王祭 は、腰越の 小動神社 と 江の島 の 八坂神社 で同時に開催される祇園信仰の祭礼。 祇園信仰の祭礼のもとは、京都 八坂神社 の祭礼 「祇園祭」 。 かつての小動神社の天王祭は、「西の祇園の花車、東は腰越の人形山車」といわれたほど壮麗な山車で知られた祭だったそうです。 しかし、1962年(昭和37年)の火災で下町を除く4基の山車が焼失してしまいました。 ただ、人形だけは難を逃れたのだそうです。 ※残念ながら、2021年の天王祭は中止となりました。 八幡太郎義家と 鎌倉権五郎景政 八幡太郎とは・・・ 「武神」と崇められた 源義家 のこと。 京都の 石清水八幡宮 で元服したことから「八幡太郎」と呼ばれました。 鎌倉権五郎景政 は、 大庭御厨 を開拓して伊勢神宮に寄進した開発領主。 後三年の役では義家に従って奥州へ出陣し、活躍した武将。 御霊神社 の祭神です。 源頼朝と御所五郎丸 源頼朝 は鎌倉に武家の都を創始した武将。 御所五郎丸 は頼朝の近習で、 曽我兄弟の仇討ち の際に、頼朝の寝所に近づいた曽我五郎時致を捕えたことで知られています。 源義経と弁慶 天王祭 が行われる腰越は 源義経 と 弁慶 ゆかりの地。 兄頼朝に鎌倉に入ることを許されなかった義経と弁慶は、腰越の 満福寺 に逗留していたのだと伝えられています。 神功皇后と武内宿禰、 応神天皇 神功皇后(じんぐうこうごう)は三韓征伐で知られています。 武内宿禰(たけうちのすくね)は神功皇后を支えた忠臣。 応神天皇は神功皇后の子。 鶴岡八幡宮 の祭神です。 須佐之男命 須佐之男命(すさのおのみこと) は 小動神社 の祭神。 祇園精舎の守護神・牛頭天王(ごずてんのう)と習合した神です。 天王祭の「天王」は、牛頭天王のこと。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉大仏建立と鋳物師物部一族と銅鐘

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物部氏は、河内国丹南郡に本拠地をおいた鋳物師集団で、1252年(建長4年)から始まった 鎌倉大仏 の鋳造のために関東へ招かれたのだと考えられています。 大仏鋳造後、相模国毛利荘(厚木市付近)に定着して、多くの寺院の梵鐘を鋳造しました。 建長寺 建長寺 の国宝 梵鐘 は、1255年(建長7年)、物部重光によって鋳造されたもの。 重光は 鎌倉大仏 鋳造に携わったと考えられている人物。 長谷寺 長谷寺 の 観音ミュージアム に収蔵されている 梵鐘 は、1264年(文永元年)、物部季重によって鋳造されたもの。 円覚寺 円覚寺 の国宝 梵鐘 は、1301年(正安3年)、物部国光によって鋳造されたもの。 北条貞時 が 江の島 に参籠して鋳造に成功させたという鎌倉最大の梵鐘。 東慶寺 東慶寺 の 梵鐘 は、1350年(観応元年)、物部光連によって鋳造されたもの。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 相模国分寺 (海老名市) 相模国分寺 の梵鐘は、1292年(正応5年)、 物部国光によって鋳造されたもの。 称名寺 (横浜市金沢区) 称名寺 の 梵鐘 は、1301年(正安3年)、物部国光と依光の鋳造とされています。 日向薬師 (伊勢原市) 日向薬師 の 梵鐘 は、1340年(暦応3年)、物部光連によって鋳造されたもの。 遊行寺 (藤沢市) 遊行寺 の 梵鐘 は、1356年(延文元年)の鋳造で、鋳物師は物部光連と考えられています。

開花!永福寺跡の中尊寺ハス2021/06/28

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中尊寺ハス は、 中尊寺 の 金色堂 に安置されている藤原泰衡の首桶から発見された実が発芽したもの。 2019年(平成31年)4月に岩手県平泉町から鎌倉市に5株が寄贈されました。 2020年(令和2年)は、鎌倉歴史文化交流館で育てられ一輪開花したそうですが、今年は次々に開花しそうです。 永福寺跡 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆