1180年(治承4年)10月7日、鎌倉入りを果たした頼朝は、先祖ゆかりの鶴岡八幡宮(由比若宮)を遙拝します。
由比若宮は、1063年(康平6年)8月、源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建。
石清水八幡宮は、京都の裏鬼門を守護する社。
源氏はこの社を氏神としていました。
10月12日、頼朝は鶴岡八幡宮を小林郷北山に遷しました。
翌1181年(養和元年)年には仮の宮を建て直すための工事に着手し、7月20日に上棟。
8月15日には新造の正殿に御神体が納められました。
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1182年(養和2年)3月9日、北条政子が懐妊。
3月15日、頼朝は、政子の安産祈願のために参道の若宮大路の整備を始めます。
若宮大路は、鶴岡八幡宮と由比ヶ浜を一直線に結ぶ鎌倉の中心線。
平安京の朱雀大路を模して造営されたのだとか。
若宮大路の造営と併行して行われたのが放生池(現在の源平池)の造営。
弦巻田と呼ばれた三町余りの斎田の耕作をやめて池としたもので、橋も架けられました。
参道中央の段葛も同時期に造営されたものと考えられています。
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1182年(寿永元年)9月23日、頼朝は、初代別当に園城寺の円暁を任命。
園城寺は、天台寺門宗の総本山。
鶴岡八幡宮の社務職次第によれば、円暁の母は源為義の娘。
頼朝の従兄弟。
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1186年(文治2年) 3月1日、源義経とともに逃亡していた静御前が捕えられて鎌倉にやってきます。
4月8日、静御前が若宮回廊で舞います。
その歌と舞は梁の塵を動かすほどの見事さだったそうです。
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1186年(文治2年)8月15日、頼朝は鳥居の辺りを徘徊する老人を目にします。
奥州へ向かう途中の西行でした。
頼朝は西行を御所に招き、弓馬について聞き出します。
翌1187年(文治3年)8月15日、放生会が行われました。
前年、西行から弓馬について聞いた頼朝は、流鏑馬を奉納します。
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1189年(文治5年)、頼朝は亡母・由良御前の供養のため、鶴岡八幡宮に五重塔を建てます。
1191年(建久2年)3月4日、小町大路で失火。
火の粉が五重塔にふりかかり鶴岡八幡宮は灰塵と帰してしまいます。
すぐさま再建にとりかかった頼朝。
大臣山の中腹に上宮を創建。
この時から、鶴岡八幡宮は上下両宮の姿となりました。
11月21日には遷宮が行われ、改めて石清水八幡宮の祭神を勧請しています。
その時の儀式を再現したのが御神楽。
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