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1月 24, 2021の投稿を表示しています

2月14日スタート!NHK大河ドラマ「青天を衝け」。

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大河ドラマ「青天を衝け」が2月14日から始まります。 主人公は、日本経済の父と呼ばれた渋沢栄一。 予告編 (NHKのページにリンクしています) ↓ ↓ ↓ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

二宮町:吾妻山公園の菜の花2021/01/29

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吾妻山公園の早咲きの菜の花が見頃です。 菜の花と雪化粧した富士が一番の見どころ。 吾妻山は「関東の富士見100景」に選定されています。 二宮町の情報によると、菜の花は2月中旬頃まで楽しめそうです。 もう少しするとスイセンも満開になりそうです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2021年の大河ドラマ 2022年の大河ドラマ

鎌倉桜情報!ソメイヨシノ開花予想2021/01/28

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鎌倉大仏 本日(1月28日)、「ウェザーマップ」と「日本気象協会」から2021年のソメイヨシノの開花予想が発表されました。 今年のソメイヨシノは、全国的にみると平年より「やや早め」になる予想となっています。 ウェザーマップの予想は・・・ 東京の開花は3月23日。 日本気象協会の予想は・・・ 東京の開花は3月22日。 となっています。 参考までに、 1月13日に発表された「ウェザーニュース」の3月18日より遅い開花予想となっています。 ソメイヨシノの開花と見頃に重大な影響を及ぼすと思われる休眠打破については、「ウェザーニュース」では順調とされていますが、「ウェザーマップ」では鈍いとなっています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉原産の桜~ (京都で人気を集めた鎌倉桜)

梶原景時が上洛しようとした理由~梶原景時の変~

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結城朝光 を讒言したことで御家人66人の弾劾にあい、1199年(正治元年)12月18日、鎌倉を追放となった 梶原景時 。 1200年(正治2年)1月20日、景時は子息らとともに上洛するため 一宮館 (現在の寒川町)を出発しますが・・・ 駿河国清見関付近で在地武士と合戦となり、景時は嫡子景季とともに討死し、梶原一族は滅亡しました。 梶原景時終焉の地 『吾妻鏡』によると・・・ 1月28日、甲斐国から 石和(武田)信光 が鎌倉に到着。 信光の報告によると、 「武田有義が梶原景時との約束を受けて、密かに上洛しようとしていると聞いたので、子細を尋ねるため屋敷へ向かったところ、すでに逃げ去った後で行方がわかりません。 ただ、一通の書状があったので開いてみると、景時からの手紙でしたので、景時に同心したのは明らかです」 とのこと。 信光の報告によって、 梶原景時 は鎌倉幕府に対する反逆を企て、天皇に許可を得るため、また、九州の武士を糾合するため、上洛しようとしたのだということが判明。 さらに、甲斐源氏の棟梁 武田信義 の四男有義を将軍に立てようとする書状があったことが判明したのだとか・・・。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

源実朝の木製五輪塔

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1219年(承久元年)1月27日、三代将軍 源実朝 は 鶴岡八幡宮 で暗殺されました。 前年に昇進した右大臣拝賀の式が終わったあとの出来事でした。 大銀杏 (隠れ銀杏) 鶴岡八幡宮 の上宮(本宮)への石段脇には、 隠れ銀杏 とも呼ばれた御神木が聳え、 実朝 を暗殺した 公暁 が隠れていたという伝説が残されていました。 平成22年3月10日未明、倒れてしまいましたが、埋め戻された根や、移植された幹からは新たな芽が成長を続けています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 実朝 を暗殺した 公暁 は、 実朝 の兄 頼家 の子です。 三浦義村 を乳母夫とし、 比企の乱 で父 頼家 が 修禅寺 に流された後、三代将軍となった 実朝 の猶子に迎えられています。 1211年(建暦元年)、 公暁 は 鶴岡八幡宮 別当定暁の下で出家し、公暁と名乗ります。 園城寺 (三井寺)に入室後、1217年(建保5年)に鎌倉に戻って 鶴岡八幡宮 の別当に就任していました。 源実朝の首塚 秦野市には 源実朝の首塚 があります。 公暁 によって持ち去られた 実朝 の首が葬られた場所といいます。 実朝 を暗殺した公暁は、 実朝 の首を持って 三浦義村 邸へと向かう途中、 義村 の家臣長尾定景に討たれています(参考: 久成寺 )。 そして、公暁が持っていた 実朝 の首は、同じく 義村 の家臣武常晴が拾い上げ、波多野氏を頼って葬ったのだと伝わっています。 源実朝の木製五輪塔 実朝 の供養は、導師に退耕行勇が招かれ、木製の五輪塔(写真)が建てられて行われました。 1250年(建長2年)、波多野忠綱が石造に替えたのだと伝えられています。 現在、木製の五輪塔は鎌倉国宝館に寄託されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 金剛寺 秦野市の 金剛寺 は、 実朝 の首が埋葬されたことがこの寺の始まりとなります。 寺名は 実朝 の法号「金剛寺殿」にちなむものです。 本堂には源実朝像が安置されています。 源氏の菩提寺 勝長寿院 では、 実朝 の亡骸が葬られました。 首は公暁に持ち去られてみつからなかったため、右大臣拝賀式に出掛ける際、御髪上げに奉仕した者に与えた髪の毛が代わりに葬られたそうです。