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9月 12, 2010の投稿を表示しています

亀ヶ谷坂(鎌倉七口:長寿寺~岩船地蔵堂)

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山ノ内道 の 長寿寺 横の道が 亀ヶ谷坂 の入口です。 亀ヶ谷坂 は、 鎌倉七口 の一つ。 あまりにも急な坂で亀が引き返したという伝説から「亀返り坂」と呼ばれるようになり、それがいつしか「亀ヶ谷坂」と呼ばれるようになったといわれています。 また一説には、 「亀もひっくり返るほどの急坂」であったことから付けられた名とも伝えられています。 いずれにしても、かなりの急坂であるということです。 急坂ですが、整備された道ですので、他の切通と比べれば歩きやすいと思います。 坂の途中に祀られているお地蔵さま。 亀ヶ谷坂 は、 源頼朝 の鎌倉入りの際に使用された道ともいわれています。 各所に切り開かれた道であることが感じられます。 亀ヶ谷坂 には、 建長寺 の僧の保養施設「延寿堂」があったといいます。 (参考: 鎌倉七口:亀ヶ谷坂の延寿堂地蔵尊 ) 今は集合住宅の入口ですが・・・ 昔は「香風園」という鉱泉旅館があったようです。川端康成の『千羽鶴』は香風園で書かれたといいます。 師子王文庫跡 亀ヶ谷坂 には、日蓮信者の田中智学の別荘がありました。宣教のため売却され、その跡地に鉱泉旅館が建てられたそうです。 現在は、「師子王文庫跡の碑」が建てられているのみです。田中智学は、 小町大路 の 日蓮の辻説法跡 を整備した人物です。 (参考: 小町大路の散策(前編) ) 「田中智学の師子王文庫跡」を過ぎれば歩きやすい道となります。そのまま真っ直ぐ行けば 岩船地蔵堂 です。 薬王寺 薬王寺 は、日蓮宗の寺です。 江戸幕府三代将軍徳川家光の弟で駿河大納言忠長の供養塔があります。 岩船地蔵堂 岩船地蔵堂 は、 源頼朝 の娘大姫の守本尊が祀られているお堂です。 ここで扇川沿いの道に突き当たります。 右に行けば 仮粧坂 、左に行けば鎌倉の街です。 (参考: 武蔵大路の散策 ) 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

奇祭 面掛行列~御霊神社例祭~

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坂ノ下の 御霊神社 の 例祭 は、祭神の鎌倉権五郎景政の命日にあたる9月18日。 神幸祭では奇祭と呼ばれる 面掛行列 が行われます。 囃子連 猿田彦の列 面掛行列 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/goryo-menkake.htm 御霊神社 の面掛行列は、 鶴岡八幡宮 の放生会に行われていた「舞楽面の面掛行列」に倣ったものといわれ、いつの間にか土俗化して現在のような面をつけるようになったとされています。 おかめの腹 「阿亀」の大きなお腹は、 豊年・豊漁の祈願を子を産む形に象徴させたものということです。 また、阿亀には 源頼朝 が身籠もらせた娘の伝説も残されています。 「おかめ」と「とりあげ女」 神輿渡御 御霊神社例大祭 

神幸祭~鶴岡八幡宮例大祭~

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鶴岡八幡宮 の 神幸祭 は、 9月15日の 例大祭 の後に行われます。 本宮で神事が行われます。 社頭には、前日、 由比ヶ浜 から持ち帰った海藻が掲げられています。 浜降式: https://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_8340.html 本宮の神輿3基が担ぎ出されます。 鳳凰が応神天皇、宝珠が比売神、菊が神功皇后の神輿です。 応神天皇神輿 (鳳凰の神輿) 比売神の神輿 (宝珠の神輿) 神功皇后の神輿 (菊の神輿) 錦旗・高張提灯・太鼓・楯・鉾・弓・矢・太刀などと共に列を整えて、 若宮大路 の御旅所である二の鳥居まで渡ります。 御旅所(二の鳥居)に到着した応神天皇の神輿 鳥居の下に3基の神輿が安置されます。 神事の後、「八乙女の舞」が奉仕されます。 ・・・・・・・・・・・ 鶴岡八幡宮例大祭 浜降式 神幸祭 流鏑馬神事 ・・・・・・・・・・・

浜降式~鶴岡八幡宮例大祭~

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「浜降式」 は、9月14日の早朝5時頃から始まります。 鶴岡八幡宮 の 例大祭 は、毎年9月15日に行われます。 例大祭 を迎えるため、宮司以下の神職が13日より参籠し、 14日の早朝、 若宮大路 を通って 由比ヶ浜 に行きます。 由比ヶ浜 では「みそぎ」が行われます。 一同が海に入って行きます。 「みそぎ」は、 例大祭 を行うにあたって、 心身を清め祓うために行われます。 海藻が採取されてきました。 集まった海藻 海藻は、 鶴岡八幡宮 まで持ち帰られ、 清めのしるしとして社頭に掲げられます。 大石段前の狛犬に置かれた海藻 鶴岡八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆