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9月 2, 2018の投稿を表示しています

太田道灌開基の洞昌院~伊勢原市~

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洞昌院は戦国武将・太田道灌の開基と伝わる曹洞宗の寺院。 本尊は 釈迦如来。 洞昌禅寺の額 三徳殿 (太田道灌霊廟) 太田道灌の墓 太田道灌は、扇谷上杉家に仕えた戦国武将。 山内上杉家と扇谷上杉家との争いに巻き込まれ、1486年(文明18年)7月26日、その才能を恐れた主君上杉定正(扇谷上杉)の糟屋館におびき出され謀殺されました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

子易明神比比多神社~染屋時忠が勧請した社:伊勢原市~

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子易明神比比多神社は、天平年間の創建。 相模国の守護にあったっていた染屋太郎時忠が、国の安土と子宝を願い勧請したことに始まるのだといいます。 祭神は木花咲耶姫命(このはなのさくやひめ)。 大山阿夫利神社の祭神・大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)の娘。 子宝と安産の子易明神として信仰され、かつては大山詣の往き帰りに多くの参詣者があったのだといいます。 📎東大寺と大山寺を開いた良弁の伝説 (染屋時忠は良弁の父か?) 御神木の欅 子易明神比比多神社は、大山へ向かうバス通り沿いにあります。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2018鶴岡八幡宮例大祭日程

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鶴岡八幡宮 の 例大祭 は9月14日から16日の3日間。 ※画像をクリックすると大きい画像のページに移動します。 流鏑馬馬場には埒が立てられました。 源氏池のハス (2018/09/08) 彼岸花 (2018/09/08) 源氏池の畔では間もなく 彼岸花 が咲き始めそうです。 鶴岡八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm

2018日向薬師の麓に咲く彼岸花~9月中旬頃から~

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日向薬師 麓の里山に咲く ヒガンバナ 。 例年の見頃は9月中旬から下旬。 ★臨時観光案内所 日向地区と洗水地区に臨時観光案内所が設置されます。 ○設置日 9月15日(土)・16日(日)・17日(月祝)・ 22日(土)・23日(日祝)・24日(月祝) ○設置時間 9:30~15:00 ○開花状況 伊勢原市観光協会 のページでご確認下さい。 ○交通 小田急線「伊勢原駅」より『バス』日向薬師行き ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 日向薬師 https://www.yoritomo-japan.com/isehara/hinata/hinata-yakusi.htm 日向薬師 は、薬師如来の霊場として信仰されてきた古刹。 源頼朝 や 北条政子 も参詣しています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 大山・日向MAP ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉のヒガンバナ

源頼朝の姉・坊門姫

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源頼朝 は、 河内源氏 の棟梁 源義朝 と熱田大宮司藤原季範の娘 由良御前 の子。 同母の兄弟姉妹には弟の希義と姉の坊門姫がいました。 『平治物語』によると・・・ 1159年(平治元年)の 平治の乱 で源義朝が 平清盛 に敗れると、希義は、駿河国の香貫で捕えられ、土佐国気良に流罪となり気良冠者と呼ばれました。 希義という名はその時に付けられたのだそうです。 ※希義が流罪となったのは、頼朝の伊豆流罪と同じ日(1160年(永暦元年)3月11日)。 坊門姫は義朝に仕えていた後藤実基の養女となり、都で密かに育てられました。 京都で育った坊門姫は、平家全盛の時代に公卿の一条能保の妻となり、高能、九条良経室、全子(西園寺公経室)、保子(後鳥羽天皇乳母)を産みます。 頼朝に信頼されていた夫の能保は、1183年(寿永2年)頃から翌1184年(元暦元年)にかけて鎌倉に滞在していたようで、『吾妻鏡』には頼朝が花見や海の散策などに能保を誘っている記事が載せられています。 1185年(元暦2年)5月には再び鎌倉へ下り、頼朝とともに 勝長寿院 の造営の進み具合などを監督しています。 10月には勝長寿院の供養について頼朝から相談を受け、供養の日には坊門姫とともに参列しました。 そして、1186年(文治2年)2月、能保と坊門姫は京都へ帰りますが、頼朝は坊門姫を 後鳥羽天皇 の乳母に推薦していたようです。 ただ、実際に乳母となったのは、娘の保子だったようですが・・・ そして、京都に戻った能保は京都守護に任命されています。 それから4年後、 1190年(建久元年)4月20日、鎌倉に 佐々木定綱 の伝令が到着し、4月13日に坊門姫が難産のため死去したことが伝えられます(46歳)。 頼朝はとても悲しみ、4月22日には京都へお悔やみの使者を遣わし、5月3日には 勝長寿院 で追善供養を行っています。 ~坊門姫と鎌倉将軍家~ 鎌倉幕府の将軍は、 頼朝 ・ 頼家 ・ 実朝 と続きますが、源氏の将軍は実朝で途絶えます。 その後、 北条政子 は京都より四代将軍を迎えます。 それが坊門姫の曽孫にあたる 九条頼経 。 五代将軍の頼嗣は玄孫。 六代将軍の 宗尊親王 は、坊門姫の玄孫あたる宰子を正室としています。

良弁滝と開山堂~伊勢原:大山寺~

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大山寺 を開いた良弁が入山の時に水行を行った伝えられる滝。 高さ約4メートル。 開山堂 良弁は、 東大寺 を開き、初代別当となった高僧。 伝説によると、 幼い時に金色の大鷲にさらわれ、 東大寺 の 二月堂 前の大杉に掛かっていたのを引っ掛かっていたのを山王権現の使いである猿に助けられたのだとか・・・ 開山堂には43歳の良弁像と猿が金鷲童子(こんじゅどうじ)を抱いた像が安置されています。 『東大寺要録』よると、 良弁は、689年(持統天皇3年)に相模国で誕生。 773年(宝亀4年)入滅。 大山寺 東大寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆