鎌倉検定~源頼朝の挙兵~
1180年(治承4年)4月27日、以仁王の発した 令旨 を伊豆国の 北条館 で受け取った 源頼朝 は、8月17日、 源氏再興の挙兵 を果たします。 伊豆国の目代 山木兼隆 を討ち取った後、相模国の 石橋山 で敗れてしまいますが、 真鶴 から 安房国 へ渡って再起します。 そして、10月7日(6日とも)、大軍を率いて鎌倉に入りました。 石橋山古戦場 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 『吾妻鏡』によると、源氏ゆかりの地鎌倉を根拠地とするように源頼朝に進言したとされる人物はだれか 答 千葉常胤 第7回鎌倉検定試験2級 『北条九代記』によると・・・ 作戦会議中に常胤が頼朝に申し上げたことは、 「今の御軍陣は敵の攻撃を防ぐのに適当な土地ではありません。 相模国の鎌倉こそ先祖が残されたすぐれた遺跡であって、地形は堅固で敵を防ぐのに適しています。 陸からの配備も、海上路としても、四方の国郡に達するのに便利です。 兵たちを集めるのにも、軍事用の食糧を運ぶのも思いのままです」 これに加えて 「鎌倉の地名は大織冠藤原鎌足の伝説に由来していること」 「鎌足の玄孫 染屋時忠 が鎌倉に居住して関東八か国の追捕使を勤めていたこと」 「平貞盛の孫平直方は、 源頼義 に娘を娶らせ、八幡太郎 義家 が誕生すると、鎌倉の地を義家に譲り、以来、鎌倉は源家重代の領有地となったこと」 を申し上げ、 最後に 「将来の幸運をこの世にもたらし、先祖の名を雲の上にまで響かそうとするには、この鎌倉がまことにめでたくすばらしい土地柄です」 と申し上げたのだとか。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 大倉に居を構え、武士として初めて幕府を開いた人物はだれか。 答 源頼朝 第11回鎌倉検定試験3級 大倉幕府跡 1180年(治承4年)10月、源氏再興の挙兵をして鎌倉入りを果たした源頼朝は、大倉の地に御所を構えます。 のちに 大倉幕府 と呼ばれました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ もと武士で、誤って人妻を殺した罪を悔いて出家し、その後、伊豆で源頼朝に挙兵を勧めた僧が開山と伝えられる寺はどこか。 答 補陀洛寺 第2回鎌倉検定試験2級 材木座にある補陀洛寺の開山で、もとは武士であって、平家追