栂尾上人と呼ばれた明恵と宇治茶
今日は栂尾上人と呼ばれた明恵の命日。 明恵は、1181年(養和元年)、 神護寺 の 文覚 と、その弟子で叔父の上覚に師事。 神護寺 1188年(文治4年)、出家して 東大寺 の 戒壇院 で受戒。 東大寺戒壇堂 仁和寺 で真言密教、 東大寺 で華厳宗・倶舎宗を学び、臨済宗開祖の 栄西 からは禅を学びますが、世間の煩わしさから離れるため紀州白上峰に隠棲。 そして、1206年(建永元年)、後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜されて 高山寺 を中興しました。 高山寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 宇治茶は、静岡茶・狭山茶と並んで日本三大茶と呼ばれます。 明恵は、 栄西 からもらった茶の種を 高山寺 の山内に植えました。 日本最古の茶園 (高山寺) そして、育成された茶の木は、宇治に移植されます。 萬福寺 宇治市にある 萬福寺 は、禅宗の一つ黄檗宗の大本山。 中国明朝風の伽藍が並ぶ寺です。 山門前には「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」という句碑があります。 菊舎句碑 そして、総門の前にあるのが 「駒蹄影園址」 (こまのあしかげえん)の碑。 駒蹄影園址 高山寺 の明恵は、この辺りに栂尾で育てた茶を移植させたのだといいます。 伝説による、明恵から茶の木を与えられた里人でしたが、それをどのような間隔で植えたらよいのかわかりません。 すると、明恵が畑に馬を乗り入れ、馬の蹄の跡に植えるよう指示したのだといいます。 碑には「栂山の尾上の茶の木分け植えてあとぞ生ふべし駒の足影」と刻まれています。 この移植が宇治茶の始まりとなりました。 平等院 の門前 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。